零戦 [プラモデル]
夏休みに入って最初の土曜日、たくさんのちびっ子をはじめ、多くのお客様にご来店頂き、ないあがらは今日も大忙しでした。
今日も灼熱地獄の釜の中で一日立ちっぱなし・・・あ、お昼ご飯食べたときだけ、数分・・・立ったり座ったりだったので、延べ数分といったところでしょう・・・でした。
今日はもう夕食を食べる気力もありませんでしたが、一日一丁のお豆腐を食べることにしたので、ビールの肴にいただきます。
今日は昨日の麻婆豆腐を作ってしまった失態に反省して、おとなしく冷奴・・・とは行きませんでした。
鮭缶の小さいのを買ってきて、お豆腐の上に鮭缶をあけて、お醤油で味付けをしていただきました。
写真は・・・あまり見栄えが良くなかったので、省略です。
でも鮭缶とお豆腐はとてもあって、美味しかったです。
見栄えを良くするには一工夫必要ですね・・・ちょっと考えて見ます。
さて今日は、TIDE☆MAN'S DOOR さんからのリクエストで、『箱』をお送りしましょう。
ちょっと前に大人買いしてしまいました。
6種類そろえるには、一箱12箱入りのものを買うのが一番早いと考えて購入してしまいました。
6種類2セット在りますので、1セットは見組み立てのまま箱で永久保存版となるのでしょうか。
ぼちぼち作っていきたいと思います。
さすがによる年波に勝てず、くたくたで、今日はこんなところで休ませていただきます。
明日は・・・(^^)???
お楽しみのパーティーがあります。
それでは皆様、おやすみなさい。
陸軍四式戦疾風 [プラモデル]
さぁて、今日は午後から同窓会へ出陣
午前中はのんびり過ごす事としました。
朝はゆっくりお寝坊さん
8時に起床し、コーヒーを淹れて、フライドエッグとトーストで朝食です。
その後は・・・童友社の1/100の彩色済みのプラモデルを作ることにしました。
色は付いているし、部品の『合い』も悪くない・・・なのに、めちゃくちゃ難しいんです。
難しくしている理由の第一番は、彩色済みであること。
ランナーから切り離した後のゲート跡を如何に目立たなく削り取るか
如何に目立たないように接着するか
・・・等々、彩色済みであるが故のごまかしの効かないところが問題です。
普通のプラモデルだったら、パテやコンパウンドできれいにして、塗装してしまえばそこらへんの『粗』はカバーできます。
とりあえずストレートに組みましたが、細かい修正は完全に乾いてからにしようと思い、写真は未完成です。
プロペラは、『×』の位置にしてありますが、私が幼い頃陸軍少年飛行兵だった父から「整備済みで飛行可能な機体はプロペラを『+』の位置にし、未整備の機体は『×』にしていたと聞いたことがあります。
このことを詳しく聞く機会は訪れず、父は旅立ってしまいました。
父からは、もっとたくさんの色々なことを聴けなかったことが残念です。
日本陸軍三式戦闘機 飛燕Ⅰ型 [プラモデル]
本当は、ゆっくり時間をかけて作りこんでいくところが、プラモデルの醍醐味であり、面白さであると思うのですが、忙しい中ちょっとだけ、模型を作る楽しみを味わうという点では、塗装済みのこういうプラモデルもありかなと思います。
いつもお邪魔するタイド☆マンさんのブログで取り上げられているのを見て、私も作ってしまいました。
⇒タイド☆マンさんのブログはこちらからどうぞ
箱は下からあけるのがツウだそうです。
私は上からあけてしまいました。
タイド☆マンさん、ゴメンナサイ!!
日本の飛行機は、どれも素晴らしく大好きなのですが、その中でもトップ5に入るのが、この飛燕です。
ネーミングからして素晴らしいですよね。
早速箱から中身を取り出すと・・・
おー、なんとSPECIALバージョンではないですか
ランナー(部品の周りの棒状の部分)から切り離すときは、やや大きめに切り離します。
そして、デザインナイフで丁寧に塗装を傷つけないように削り取って、貼り合わせていきます。
ここが、通常のプラモデルだと、そんなに神経を使わないところなのですが、何せ塗装済みなので・・・
あっという間に完成です。
部品の合いも非常によく、超お手軽な楽しみですね。
プラモデル [プラモデル]
今日の夕方の地震は、私のいたと千代田区でも震度4を記録しました。
私のいたのは、地下3階、地上32階のビルの3階です。
低層階にいたので、ゆれはそんなに大きくなかったのですが、薄気味悪かったのは、大きな揺れが収まった後、建物自体が、非常にゆっくりとしたリズムと、大きな音で軋むんです。
どうしたんだろうと、壁に手を当ててびっくり。
建物が、波に揺られた船のように、非常にゆっくりと大きく揺れているではありませんか。
3/11にもこんなことはありませんでした。
さて、ここのところ、いろいろな方のブログを拝見していて、プラモデル・・・それも塗装済みのお手軽キットを作りたくなってしまいました。
購入したのはこちらです。
まずは、トミーテック製の航空自衛隊のF15を二種類
そして、童友社製のP47と、疾風です。
このうちから、P47を作ってみました。
塗装は非常にしっかり出来ています。
組み立てる際は、流し込みの接着剤を推奨していたので、胴体の張り合わせに使ってみましたが、はっきり言って、流し込みタイプの接着剤はNGですね。
塗装しなおすのであればいいのですが、この塗装を生かすのであれば、流し込みは使わないほうがいいようです。
ゲート(部品と、その周りのランナーをつなぐ部分)は、非常に良く考えて作られていて、塗装をあまりいためないように配慮されています。
モールドがちょっとオーバースケールですね。
もう少しシャープなモールドで、済みいれしてあれば最高なんですけどね。
でも想像以上の出来栄えに感動しました。
小一時間で、塗装の手間をかけずにこのレベルのプラモデルが出来てしまうなんて、素晴らしいことです。
・・・はまりそう
零式練習戦闘機・・・回顧録 [プラモデル]
先日古い写真をみていたら、こんなものが出てきました。
〇十年前に製作したプラモデルの写真です。
当時、1/72のサイズで零式艦上戦闘機のすべての型を製作しようと考えて作り始めたものです。
結局は、この二機で終わってしまったのではないかと思います。
手前は零式練習戦闘機です。
キットにはこの種類はないため、自作しました。
今となっては二一型を改造したのか、五二型を改造したのかまったく記憶にありません。
各種図面や写真、資料など参考に製作しました。
主要改造点は、
①後席の指導教官の席を追加
②水平尾翼前に整流板を追加
③尾部を改造
④前席の教習生は、右手を上げて親指を立てて合図をしている
⑤後席の教官は、左手をカメラ方向に手を差し出して、指差している
といったところでしょうか。
塗装は筆塗りで、カウリングの『黒』は、黒というよりはむしろ『群青色に黒を混ぜた』ような色に調合して塗った記憶があります。
使用したカメラは、Canon A1 55mm単焦点 で絞り開放で撮影したものと推測されます。
今考えてみれば、もう少し絞り込んで、背後の零戦のフォルムをしっかり出したほうがよかったですね。
当時はマクロレンズを持っていなかったため、残念ながら1/72のサイズでかなり作り込んだ(…はずのf^_^;…)フィギュアのアップの写真がないのが残念…いや幸いだったのでしょうか(^^;;
次は、OV-10 BRONCO です。
確か Air fix 製の1/72のキットではなかったかと思います。
迷彩塗装ではなく、胴体側面から上面はOD色、胴体下面と主翼、水平尾翼はつや消しの白を塗って、ストレートに組み立てたと記憶しています。
当時は複葉機を作るのに凝っていましたが、張線ややや太めのアンテナ線は木綿糸を使っていました。
木綿糸の良いところは、張った後軽く水を含ませると、ピンと張る事でした。
これを作った10代後半に戻ってみたいものです
缶コーヒーのおまけ欲しさに大人買いとバイクのプラモデル [プラモデル]
はてさて、またまたやってしまいましたまとめ買い
今回は、『WANDA金の微糖』についていたおまけ狙いです。
なんと4×4MAGAZINE監修のワイルドラリー第一弾全5種です。
これはWillys MBです。雰囲気はうまく捉えていると思いますが、やはりこのタイヤはMBには似合わないですね。
その他ジムニーJA11、パジェロV20、ランドクルーザー40、ハマーH1の5種類です。
第一弾ということは、第二弾もあるのでしょうか。
この季節、缶コーヒーのおまけが続々登場していて、おまけに弱い私には、缶コーヒーを買いに行くのに恐怖さえ感じます
サントリーのボスでは、『栄光のレーシングカーコレクション・・・全9種』がラインナップされていました。
これは、一つしか買いませんでした。
そして、同じくサントリーのボスには、『最速バイクコレクション』がラインナップされています。
これも全9種あるのですが、これは3種類だけ購入しました。
左からHONDA NSR500 1987、YANAHA YZR500 1979、SUZUKI RGV-γ500 1993 です。
真ん中のYZRにはとても思い出があります。
この頃はケニーロバーツがこの黄色いYZRに乗っていましたね。
今を去ること数十年前に、このケニーロバーツモデルを作ったことがあります。
それが次の写真です。
なんと10年位前にサイドボードから転落して粉々になってしまいました。
でもいまでもデカールが割れることも無く、数十年の時を隔てた感じがしません。
このモデルを作るときに一番苦労したのは、ケニーロバーツの着ているライダースーツの革の質感を出すことでした。
うまく革の質感が表現できていると思うのですが、いかがでしょうか。ライダースーツのロゴは一部手書きですが、ほとんどデカールを使用しています。
モデル全体にクリアラッカーでコーティングしたためか、デカールの割れ等は全くありません。
クリアラッカーも数種類の光沢を用意して、部分部分に合わせて吹きました。
埃まみれになっていましたから、今度時間のあるときにでも修復に挑戦してみましょうか
スケルトンなプラモデル [プラモデル]
いや~大変な経験をしてしまいました
前回の記事をアップしている最中、坂道を転げ落ちるように体調を崩して、コメントなど書くことも出来ず、何とか写真をアップして保存ボタンを押したのでした。
前回の記事で気管支炎に罹ったことを書きましたが、実はそれだけではなかったのです。
14日の夕食後、処方された気管支炎のお薬を飲んで、blogを書き始めて30分位経過したとき激しい嘔吐、下痢、そして腹痛に襲われ寝込んでしまいました。
ようやく水分を取れるようになったのが、16日のことです。
17日になってようやく歩けるようになり、駅前の病院に行ったら、「ウイルス性胃腸炎」との診断でした。
しかも気管支炎で処方されたお薬が、ウイルス性胃腸炎を悪化させたようです。
今年一年を振り返ってみると、『なぜ文京区は坂が多いのか』でスタートを切りました。
文京区の坂を取り上げる上で、どおしても触れておきたかったことで、かなりの日数を割いて調べました。
⇒なぜ文京区は坂が多いのか
さらに2月1日には『二・二六事件』を取り上げてから、中にはとり止めもない記事が多数ありましたが、blog更新パーフェクトでここまでくることが出来ました。
ここまで続けてこれたのも、皆様方のniceとコメントによる励ましを頂いたからこそと感じています。
⇒二・二六事件
少なくとも来年1月末まではパーフェクトを続けたかったのですが、ちょっと残念です。
皆様のところへのご訪問はもう少し元気を取り戻してから再開したいと思います。
さて前置きがかなり長くなってしまいましたが、少し体調が戻ってくると、色々なことを考えたり、思い出したりするものです。
そんななかで、子供の頃・・・幼稚園に入る前くらいのことだとおもいます・・・吉祥寺だったか、後楽園だったか、大きな模型屋さんの店頭に、Revel社製のP-51ムスタングが飾られていました。
とても大きく、おそらく1/25以上のスケールではなかったでしょうか。
なんとその機体は胴体も主翼もスケルトンで、精巧に作られたコクピットが、胴体が、エンジンが見えるではありませんか。
その隣には、同じくRevel社のスケルトンの人体模型もあって、その模型屋さんの前を通るたびに食い入るように眺めていました。
「いつか僕もそんな模型を作ってみたい!」という思いがそうさせたのでしょうか、今私の回りにはいくつかのスケルトンモデルがあります。
最初はハセガワの1/48の疾風です。
胴体内部はエッチングパーツで、桁を表現していて、エンジンはソフトメタル製です。
次はハセガワ+GartexのF104です。
これは1/72ですが、作りこめばかなりのものになるでしょう。
展示用のアクリルケースまでついています。
お次はTAMIYAです。
このモデルは、単に通常のモデルに、スケルトンの胴体部品をプラスしただけのものです。
しかしながら、操縦席などしっかり作りこんであるため、十分見応えがあります。
次もTAMIYAですが、今度は車です。
TAMIYAは、こんなことまでやってくれます
おおとりはミニ四駆でした
プラモデル [プラモデル]
今日は仕事の後、ボイースカウトの会議に出席し、今帰宅しました。
坂のネタはたくさんあるのですが、書き込む時間がなくこんなものをアップしてみました。
もう作って20年くらいたつプラモデルです。
この主翼の亀甲模様の塗装は、面相筆で一つ一つ塗ったものです。
今考えてみれば、型紙作ってエアブラシで吹けばそんなに手間はかからなかったかもしれませんね。
えらく苦労と時間をかけた覚えがあります。
こちらは、明灰色の下地に、濃緑色の迷彩をエアブラシで吹いてみたものです。
次は戦車です。
こちらは1/72のジオラマです。
戦車系は1/35でしたが、はじめて1/72に挑戦したときのものです。
一応塗装はエアブラシを使いました。
土嚢は紙粘土をちぎって着色したものです。
残念ながら右の写真のスカートが取れてしまっていました。