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一式双発高等練習機 キ54 [ミリタリーで不思議なもの]

以前このソネブロで活躍されていたノスタルジックカーショーさんが、現在はYouToubeで番組配信をされています。

今晩20時から、以下のリンクで私が提供した一式双発高等練習機見学会の第2回の模様が放送されますので、ぜひご覧ください。


20時以降であれば、いつでもご覧になれます。

 

第1回目の放送は、次のリンクでいつでもご覧になれます。


 

この機体は、1943年9月27日に秋田県能代飛行場を離陸後、青森県八戸市に向かう途中エンジントラブルで十和田湖に墜落した機体です。乗員4名のうち、救助されたのは1名のみという事故でした。

その後2012年に引き上げられて、青森県立三沢航空科学館に展示されていましたが、このたびこの飛行機を製造した立川飛行機(現立飛ホールディングス)に里帰りしたのを機に一般公開されたものです。

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公開された場所は立川にある1936年(昭和11年)に建てられた木骨造りの非常に貴重な倉庫ですが、残念ながら消防法等の制約から常時展示は叶わず、3日間のみの限定公開となりました。

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一式双発高等練習機は、1941年(昭和16年)に制式採用された陸軍の練習機です。

非常に扱いやすく優秀な機体だったので、用途に応じて数種類の機体が造られました。総生産機数は、1342機ですが、各型の内訳は分かりませんでした。
キ54甲・・・操縦・航法訓練
キ54乙・・・通信・爆撃・射撃訓練
キ54丙・・・輸送機(乗客8名)
キ54丁・・・哨戒機(磁気探知機搭載)
Y39・・・・民間型輸送機
連絡機としても用いられ、満州国軍では、要人輸送機として利用されました。
戦後も、外地に残った機体が、国共内戦やインドシナ戦争で運用され、1952年くらいまで飛んでいたようです。
実機は北京航空航天大学と、オーストラリア戦争記念館にあるようです。
発動機は、日立ハ13甲 空冷9気筒エンジン(社内では『天風21型エンジン』と呼ばれていたようです)で515HP。写真に写っている綺麗な方のエンジンは、日野自動車で復元され、東京都八王子市にある日野オートプラザで展示されていましたが、今回の機体の里帰りに合わせて、立飛に戻って来ました。
エンジンを設計製造したのは、東京瓦斯電気工業で、昭和14年に航空機用エンジンの製造部門を日立製作所に譲渡し、『日立航空機』として東京瓦斯電気から引き継いだ大森工場でこのエンジンを製造していました。
日立航空機は、戦後合併や社名変更を繰り返して、現在流れを汲む企業は『小松ゼノア』です。私のラジコン戦車にも小松ゼノアのエンジンが積まれています。




大元の東京瓦斯電気工業は、軍需品・・・薬莢、信管の他、東京砲兵工廠からの依頼で南部自動拳銃を作っていましたが、メインはトラックの開発製造でした。
その流れを汲むのがいすゞ自動車ですが、戦前国策により、特殊車両の製造部門が分離独立して日野重工業が設立され、戦車などの軍需車両を製造していました。
これが戦後民需に転換して日野産業となり、日野ヂーゼル工業を経て1959年に日野自動車と改称しています。1950年代には母体のいすゞと競合するトラックメーカーに成長した事は、素晴らしい事ですね。
日野ルノーやコンテッサなどの乗用車を手掛けていた事は、旧車乗りにとっては懐かしい事になってしまいました。
トヨタのFJクルーザーは、日野自動車製というのは、日野市民の私にとって嬉しい事実です。

エンジンの復元は、日野自動車の実験部門と生産技術部門が担当しました。状態は非常に良く、分解すると中からオイルが出てきたとか。
土に埋没していた部分の腐食が酷く、水中に露出していた部分の方が状態が良かったようです。

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