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学生街の四季 第2章《夏》 12 [学生街の四季]

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真栄田岬を出発すると、車は一路宜野湾市へと向かって国道58号を南下した。

健作は過ぎ去っていく景色を何か考え事でもしているのか、心ここに在らずというような顔をして眺めていると、隣に座っている修が肘でつついてきた。
「おい健作、何考えてるんだよ!!」
「えっ、ああ・・・うん、何も考えてなんか無いよ。ただ景色見てただけだよ。」
「ふ~ん、なんか飛行機に乗ってたときのような顔してたぜ!」
「えっ、そんなこと無いよ。」健作は窓の外を眺めたまま気のない返事をした。

「まぁそういうことにしておこうか。ところで健作、さっきみんなで海岸線まで崖を降りた時に、なんで一緒に来なかったんだい?」
健作は、ちらっと運転席の方に目をやると修の方に目をやった。
「あの時は、ノリのお父さんと話ししてたのさ。」

助手席で健作と修の話しを聞いていた典子は、きらきらと目を輝かせながら振り返った。
「あら健作さん、お父さん、どんな話してたんですか!?」

車を運転している聡は、前をむいたまましゃべり始めた。
「健作君とね、『夢』の話しをしたいたんだ。みんな若いんだから、でっかい夢持てよ!!」

車は嘉手納ロータリーをぐるっと回ると嘉手納基地の西端のフェンスにそって南下を続けた。

「みんなは、牛島中将のことは知ってるかい?」
智子がイの一番で手を上げた。
「知ってます。確か沖縄戦の時の日本軍の司令官で、最後に自決して沖縄戦は終わったんじゃなかったでしょうか。」
「ほう、智子さんはよく勉強しているね。
それじゃあ、この嘉手納基地の中に、牛島中将を顕彰した碑があるのを知ってるかい?」
「えっ、アメリカ軍の基地の中に敵国の将軍の碑を残しておくなんて考えられません。」
智子はびっくりしたように答えると、みんなはうなずいた。

「いやいや、戦前の日本軍が立てたのではなく、戦後アメリカ軍の手によって『初代基地司令官ジェネラル牛島』と記された碑が建てられたんだよ。
牛島中将は、沖縄戦で多くの一般市民を巻き込んで犠牲を増やしてしまったという評価が定着しているが、本当にそうだろうか。
1944年9月に牛島中将は沖縄に赴任すると、まず最初に沖縄県知事と話し合った議題は、沖縄県民の疎開のことだ。
沖縄が戦場になることはもうすでに十分予想されていたため、30万人以上の暮らしていた人たちの安全を如何に確保するかということが喫緊の課題だったんだ。

そして、8万人以上の人たちが本土や台湾に疎開した。
さらに米軍の上陸が目前に迫ると、一般市民を本島北部へ避難させたが、それも間に合わず多くの市民が南部の激戦地帯に取り残された。
牛島中将は激化した戦闘の中、米軍総司令官のバックナー中将の下に軍使を送った。

「一般市民保護のため、南部の知念半島を非戦闘地域にした」ことを認めるように求めたんだ。
そんな牛島中将をアメリカ軍は非常に高く評価しているのさ。
だから、嘉手納基地の中に牛島中将を顕彰する碑が建っているんだ。」

聡は、運転しながらバックミラーにちらりと視線をやり、健作たちの反応を確認した。

「戦後、戦争に負けた日本人は、第二次世界大戦にふたをしてしまった。
本来なら、きちっと評価反省し、正すべきところは正し、評価すべきところは評価されなければならなかった。
そのいい例が、数年前アンビリーバボーで取り上げられた第二次世界大戦中の日本海軍の駆逐艦「雷(イカヅチ)」の話だよ。
日本海軍の砲撃により沈没したイギリス海軍の巡洋艦エクゼターと駆逐艦エンカウンターの乗組員422名を工藤艦長が率いる駆逐艦「雷」が救助したんだ。
助けられたイギリス兵の中に、後に外交官となって活躍したフォール卿がいた。
フォール卿が平成になって、死ぬまでに工藤艦長にお礼が言いたいとその消息を尋ねて初めて日本の駆逐艦がイギリスの海兵を救助したことが世に出た。

残念ながら工藤艦長は、1987年(昭和62年)に他界されていた。
生前はいっさいその話はせず、家族は誰もその話しを知らなかったそうだ。

当時のイギリス海軍は「戦時においては、友軍の将兵が漂流していても助ける必要はない」という内部規定があった。敵潜水艦からの攻撃を恐れての事だった。
イギリス海軍には、第二次世界大戦開戦後に日本海軍の毅然とした武士道の話が多々伝わり、「沈没したら日本の軍艦に向かって泳げ。必ず助けてくれる。」といわれていたほどなんだよ。」

「へ~、そんなことがあったなんて知りませんでした。」
健作が口を開くと、みんなの口からため息にもにた空気がもれた。

車は、陽光燦々と降り注ぎ露出オーバーで白く光っているような国道を切り裂くように進んでいく。
聡は続けた。
「君たちはまだ若い。何が真実で、何が造り事なのか判断する目を養わなければいけないよ。
たとえば報道されることは、新聞社なり、テレビ局の、いや新聞や番組を作った人の考えが織り込まれている。
その中から、『事実』だけを取捨選択して自分の意見を持つことが大切だ。
・・・おっと、なんかオヤジくさい話しをしてしまったね。もうすぐ着くよ。

車は国道58号から左に折れると、普天間基地のゲートに続く道へと入った。
カーブしながら登っていくと、ゲートの手前の細い路地へと入っていった。

聡は、数十メートル進み道に面した駐車場に車を止めると、イグニッションを切った。

 

前回、今回と、ちょっと教訓めいたお話になってしまいました。
書き込みすぎであることは重々承知の上です。
本来は、もっとテンポ良く話しを進めるつもりでしたが、なぜか自分自身沖縄への特別な思い入れがあるためか、さらっと書き流すことができずに、色々書き込んでしまっています。
本当は聡の口から、もっと語らせたいことがあったのですが、なんとか自重しました。
ひょっとすると書いてしまうことがあるかもしれませんが、まぁ付き合いください。

最近色々とストレスのたまることがあり、普段だったら見る夢はそれこそ冒険活劇のような楽しい夢ばかりなのに、悲しい夢、つらい夢ばかり見ています。

そんなこんなで、ついつい聡の口を借りていいたい放題言っているのかもしれません。
面白いもので、この学生街の四季を書いているときは、すっかりこの物語の世界に浸かってしまっています。
あるときは健作の目を借りて、あるときは聡の目をかりて、あたかも自分が今見ていること、体験していることを書いているような錯覚に陥ることがあります。

そういう意味では、もう私の手を離れて一人歩きしている物語を、書き取っているということでしょうか。


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コメント 22

銀狼

書き込み過ぎなんてことないですよ^^
思いがしっかり伝わって参ります。
ブログに自らの思いをぶつける事も大切ではないかと。。。
私は思いをぶつけ過ぎですが・・・^^;
by 銀狼 (2012-11-12 00:40) 

orange

「何が真実で、何が造り事なのか判断する目」一人の人間として必要な能力ですね。
沖縄で暮らしたご経験があると伺って以来、駅員3の沖縄との関わり、視点を伺いたいと思っていました。その一端を伺えたような気がします。イデオロギーなどに色づけされていない事柄を見極めるのは難しいと思いますが、今の状況を考えるととても大切なことのように思います。
by orange (2012-11-12 01:22) 

ちょいのり

もうキャラが勝手に歩き出してる状態なんですね^^
まるで本当にそこにいて、そしてこのキャラは絶対こういうこと言ってくれる。
もしくは作者が意図してないことまで喋ろうとするみたいな^^
キャラに作者が書かされちゃうってのは物を書いてる人にとっては面白いことなんだろうなあ^^

ボク的にはサクサク進むよりも掘り下げて進むほうが好きだったりです^^
実際、日本海軍の武士道のくだりで健作君と同じように『ええっ!?まじですか!』と思ってしまいましたw
すごく勉強になり、そしてまた皆に知ってもらう1つのキッカケのお話として今回のお話が特にお気に入りになっちゃいましたですよ~^^

by ちょいのり (2012-11-12 01:38) 

YUTAじい

おはようございます。
いいえ興味深く読ませて戴いてます・・・先日もフォール卿が工藤艦長の法事に参列された様子放映されてましたが・・・命の大切さが。
by YUTAじい (2012-11-12 05:31) 

ナビパ

小説を描くことってある意味、相手の気持ちになるってことなんですね。
by ナビパ (2012-11-12 06:46) 

下総弾正くま

沖縄にはそんな日本軍人がいたんですね…知らなかった(・_・;)
by 下総弾正くま (2012-11-12 07:14) 

rtfk

お伝えしたいことのほんの少しですが理解できたような気分です^^)
自分も沖縄を旅行した時に様々なことを思い巡らせました。。。

by rtfk (2012-11-12 07:35) 

cafelamama

工藤艦長の動画、拝見しました。
うーん、ちょっと言葉が出てきませんが、
こんなに感激したのは久しぶりです。

by cafelamama (2012-11-12 09:48) 

馬爺

なるほど知りませんでしたね、戦争中にそんな逸話が有ったんですね。
人の命の大切さを戦争中でも心していたんですね。
by 馬爺 (2012-11-12 09:59) 

mwainfo

いつもお寄り頂きありがとうございます。
工藤艦長に関するノンフィクションは数点出ていますが、日露戦争、乃木大将の水市営の会見以来、武士道精神は世界の称賛を浴びました。青山繁晴氏は、武士道精神はキリスト教精神にも通じるといっています。


by mwainfo (2012-11-12 10:15) 

リキマルコ

じっくり読ませていただきました。
ストレス発散にも自分の思いをここで出し切ってください(*^^*)

風邪は急によくなってきました!!やっぱり誰かに移すのが1番かも(^^;)
ありがとうございます♪
by リキマルコ (2012-11-12 12:31) 

(。・_・。)2k

動画を見て思いましたが
やはり 損とか得って要らないですね

by (。・_・。)2k (2012-11-12 13:13) 

ゆうみ

伝えたいことは書いた方が良い。
私全部理解できてるかわからないけど 読ませていただいてます。

by ゆうみ (2012-11-12 16:28) 

夏炉冬扇

こんばんは。
長男が海兵でした。
by 夏炉冬扇 (2012-11-12 17:37) 

美美

戦争には表裏がたくさんあるのだと思っています。
伝えたいことは思い切り書いてください。
ひとそれぞれの理解の仕方も違うと思いますが
私も読ませていただきます。
by 美美 (2012-11-12 18:22) 

koh925

牛島中将のこと、工藤艦長のこと
恥ずかしいことながら、知りませんでした
マスコミは、こういうことには蓋をし、悪い面ばかり報道したんですね
このような事実、何度でも聞かせてください
by koh925 (2012-11-12 18:32) 

ダミアン88

興味深く拝見させて頂きました。
物事も人間も一方からだけ見てはいけないものだと
考えさせられました。
by ダミアン88 (2012-11-12 19:08) 

Azumino_Kaku

こんばんは、
駅員3さんの熱い思いが伝わってきますよ(^_^)
「物言わぬは腹ふくるるわざなり」
とか申します。
言いたいこと言っちゃいましょう(^_^)
by Azumino_Kaku (2012-11-12 21:18) 

yuzuhane

物語としての流れもですが、豊富な知識が自然と盛り込まれていて…素晴らしいと拝見しています。何が真実か作りごとかを判断する目…ほんと大切なことだと思います。
by yuzuhane (2012-11-12 21:25) 

ニッキー

戦争中も人間として素晴らしい日本人もたくさんいたのに、そういう話は全くと言っていいほど語り継がれないんですねぇ(-"-)
こんなにいい話を聞いて(読んで)ると本当に嬉しくなります(^.^)
他にも色んな話教えてください<(_ _)>
by ニッキー (2012-11-12 22:07) 

こっちゃん

コメントありがとうございます。
精密検査(CT)はこれからなんですが、気持ち的にはすっかりわりきれました。
またお邪魔します。
by こっちゃん (2012-11-13 00:10) 

キャスリーン・ケリー

良いお話です。沖縄に一番直近に行ったのは5~6年前で仕事絡みでしたけど、訪ねたひめゆりの塔で胸が詰まりました。もともとこういうお話には弱いんですけど、年を重ねると尚更胸に迫る気がします。
by キャスリーン・ケリー (2012-11-14 13:36) 

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