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東京の坂と橋 132 大日坂 [東京の坂と橋]

名前ふりがな別名所在地北緯東経全長高低差
大日坂だいにちざか八幡坂文京区小日向2丁目北緯35度42分42秒東経139度44分01秒235m21m


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切り絵図.jpg

『大日坂』は、坂の途中に天台宗覚王山妙足院(明息寺)の大日堂があったことから呼ばれた坂である。
『改撰江戸志』には「坂のなかばに大日の堂あればかくよべり」と記されている。

大日堂4.jpg

大日堂3.jpg

大日堂に参拝すると布袋様だろうか、ユニークなお姿の石仏が出迎えてくれる。

大日堂6.jpg

入り口の石段を登ると、境内の右手に坂の由来を記した標識が立っているが、これは文京区観光協会が建てたものだ。
その内容は大日堂の由来を中心に書かれている。

大日堂1.jpg

そして、文京区教育委員会が設置したおなじみの坂の標識が次のとおりである。

大日坂看板2.jpg

この標識は、坂の由来を記している。
最後に折口信夫の俳句を紹介し、この近辺は寺町の感のする街だと結んでいる。

 この街に遊び暮らして三年居き
  寺の墓やぶ深くなりたり     折口信夫(筆名釈超空 1887-1953)

小日向神社.jpg『大日坂』の別名『八幡坂』は、坂上に『田中八幡神社』があったことから呼ばれた名前で、上の江戸切り絵図には『八幡坂町』・・・青い〇印・・・が記されている。

田中八幡神社は文京区教育委員会の設置した坂の標識には、この坂のすぐ東側にある「小日向神社に合祀された」と記されているが、坂上の文京区土木部が設置したブロンズ像のモニュメントの台には、同じく文京区内の「音羽町8丁目の裏通りに移転した」とかかれている。

ちなみに、大日堂境内にある文京区観光協会の設置した標識には、八幡坂のことは触れられていない。

右の写真は、大日坂の東側にある、小日向神社の社殿である。
この神社は『服部坂』の途中にあり、また後日取り上げたい。

 

 

坂上のブロンズ像は、彫刻家『御正 進』の作品で『牧歌』と名づけられている。
妖精のような少女がラッパを吹いているところで、とてもメルヘンを感じる素敵なものだが、残念ながら回りの緑が少々育ちすぎて、緑に半ば埋もれてしまっている。

20100723 2.jpg

大日坂ブロンズ2.jpg大日坂ブロンズ4.jpg

大日坂ブロンズ1.jpg

銘板をみると、最後に『文京区土木部公園緑地課』と記されていることから、このブロンズ像は文京区の土木部が設置したものだろう。

南千住.jpg同じ文京区が設置しながら、説明書きに違いがあるのがいかにもお役所的である。
作者の彫刻家『御正 進』は、立川北口駅前や南千住南口駅前などあちこちにその作品を見ることが出来る。

特に南千住南口駅前のブロンズ像は、天使がラッパを天に向かって高らかに吹き鳴らしているところなどが似ている。

次の写真は、坂上から見下ろしたところで、左手のこんもりした林の中に、ブロンズ像が置かれている。

大日坂2.jpg

次の写真は坂下から見上げたところであるが、意外と勾配はきつい。

大日坂3.jpg

坂の途中にはこのような古い階段も残されていて、いまでも付近の住人の大切な通路となっている。

古い階段.jpg

【ご参考】
◆文京区教育委員会設置の標識
 大日坂  だいにちざか 小日向2-17と18の間
 「・・・坂のなかばに大日の堂あればかくよべり」(改撰江戸志)
この「大日堂」とは 寛文年中(1661~73)に創建された 天台宗覚王山妙足院の大日堂のことである。
 坂名はこのことに由来するが, 別名「八幡坂」については 現在小日向神社に合祀されている 田中八幡神社 があったことによる。
 この一円は 寺町の感のする所である。
   この町に遊びくらして三年居き
      寺の墓やぶ深くなりたち   折口信夫(筆名・釈超空 1887-1953)
          ―――――郷土愛をはぐくむ 文化財――――
                  東京都文京区教育委員会   平成元年3月

◆文京区観光協会設置の標識
 大日坂
 坂の名の由来は, 坂の途中に大日堂があったことから里俗に呼ばれるようになったものであろう。
 堂のあるこの寺は 天台宗で、覚王山妙足院と号し、開祖は浩善尼上人(紀州家の奥女)で、堂廟の創立は寛文2年(1662)といわれている。
 その後何度か火災にあったので、堂は現在に至っていないが、坂の北の方の道造りは、妙足院で施工したと伝えられている。
 小日向の名の由来については、古く鶴高日向という人の領地だったが絶家した後、「古日向があと」といっていたものが、いつか「こひなた」と呼ばれるようになったのであろうと、「御府内備考」では述べている。
                  文京区役所・文京区観光協会

◆文京区土木部公園緑地課の設置したブロンズ像の銘板
 大日坂(八幡坂)
 この坂は昔、坂の上にあった田中八幡宮にちなんで八幡坂と呼ばれていました。
 後に八幡宮が音羽町八丁目の裏通りに移転してからは、坂下の妙足院の大日堂にちなみ、大日坂と呼ばれるようになりました。
 大日堂は、大日如来を祭り江戸時代から小日向の名所として知られてきました。明治時代に入ると、毎月八の日の縁日には、水道通りにたくさんの露天が並びにぎわっていました。また、坂下の神田川(旧称江戸川)は、明治末まで土手に植られた桜並木が有名でした。
 文京区土木部公園緑地課

 

 

 

 


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コメント 8

perseus

こんばんは。
こういった地名を見ていると、結構似通った地名が
あるものですね。
私の地元にも『八幡(やはた)』がありますし、
近江八幡(はちまん)などといった感じです。
更には、大阪には『大日』という地名があります。
何かつながりがあるのかな??
by perseus (2010-08-23 01:46) 

BPノスタルジックカーショー

おはようございます。

坂シリーズの復活ですね!!
by BPノスタルジックカーショー (2010-08-23 06:35) 

八丁掘

静かな何気ない住宅街の風景・・・好きです(^o^)
by 八丁掘 (2010-08-23 08:35) 

単騎

文京区の方ってあまり行くことないんですよねぇ。
by 単騎 (2010-08-23 22:25) 

Azumino_Kaku

こんばんは、
都心とは思えないような風情の坂ですね。
電車で通勤するとき、メトロで茗荷谷あたりを通るのです。
いつかこのあたり、電車を降りて歩いてみたいなぁと思っておりました。
by Azumino_Kaku (2010-08-23 22:53) 

ドラもん

ブロンズ像のなるほどが分かりました(^^)
by ドラもん (2010-09-01 19:05) 

kiyotime

おお、この坂はよく通りますよ。 ブロンズ像も見た事があります。

by kiyotime (2010-09-23 01:37) 

miumiu

こんにちは。御府内備考の編者の子孫の一人です。大日坂の記事に、改撰江戸志とありますが、殆どが「御府内備考」に引用された「改撰江戸志」です。私の調査の結果(2004年から)2011年11月20日に作者が判明しました。それは、中神守節で昌平坂学問所の儒官です。
by miumiu (2011-12-11 14:10) 

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