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東京の坂と橋 番外編53 柳ヶ瀬川起点の橋 [東京の坂と橋]

名前ふりがな別名所在地北緯東経全長
大鐘橋おおかねばし埼玉県所沢市上山口北緯35度46分33秒東経139度25分05秒27m

柳ヶ瀬橋.jpg 

柳ヶ瀬橋地図.jpg 

今回取り上げる橋は埼玉県所沢市にあり、東京ではないため番外編とした。
橋の袂には、埼玉県の設置した『一級河川柳瀬川起点』の標識がある。
水源は、この山口貯水池が出来る前、水没したいくつかの沢と、東京都瑞穂町であるが、ダムが完成したことから、柳瀬川の起点がここ、大鐘橋に移されたという。

柳瀬川4.jpg

この橋の欄干には、なにも表示は無かった。
この橋の左岸の袂に標識がある。

柳瀬川3.jpg

柳瀬川は、東京都と埼玉県の境を流れ、埼玉県志木市で新河岸川に合流する。
狭山湖の湖底には、いまでも昔の流路が残されているという。

上流を見ると、二手に分かれていて、左側をいくと、大きなトンネルから水が流れ出している。

柳瀬川6.jpg

トンネル手前で右から来る水路は、まっすぐ山口貯水池の堰堤へと向かっている。

柳瀬川5.jpg

その昔、軽便鉄道が山口貯水池の手前で分岐して、西武線の上山口駅(西武球場前駅の手前にあった駅)へと向かった跡が道になっているが、その道を堰堤へと向かって登っていくと、右手には、次の写真のようなものが現れてくる。

余水排水.jpg

余水排水2.jpg

コンクリートのすり鉢状のもので、中を覗くと、トンネルの出口が穿っていて、そこから流れ出てくる水は、中心部のコンクリートの箱に飲み込まれていた。
山口貯水池にあった地図によると、余水排水路の点線上にこれらのトンネルがあり、貯水池の余水がこのトンネルを通って柳瀬川に放流されているのだろう。

今日は一日ボーイスカウトの会議の予定であったが、会議には参加しなくても良くなり、午前中にスカウトハウスに顔を出した後、午後はフリーとなった。
気温は暖かく、午前中は調子に乗ってJeep M38で出かけた。

2010.01.24.jpg

寒さはジャケットを通り抜けるほどではなく、むしろ冷たい風が心地よいくらいの陽気で、一ヶ月ぶりにガレージからとび出して、陽光を浴びたM38は、歓喜するかのごとく調子よく街を駆け抜けた。
このまま午後もM38で出かけたかったのだが、カーナビの地図を使いたかったので、一度帰宅してヘンナハイラックスで出動した。
(実はこの弁は強がりを言っているだけで、午前中のドライブで目が痒くなり、鼻水が止まらなくなったのだ[わーい(嬉しい顔)]
午後は、武蔵村山市の図書館で、閉架図書を探してもらうのに時間がかかったりして、帰路についたのは、日没直前。
日暮れとともに気温は急激に下がり寒くなったので、結果的にいい選択だったのだろうと)

資料館.jpg今日の目的は、羽村山口軽便鉄道の追加取材をするための武蔵村山市立歴史民族資料館の訪問と、羽村山口軽便鉄道の残堀砕石場、5号隧道から終着点までと、支線の取材だ。

歴史民族資料館には目指す資料は無く、案内されたのが図書館である。
図書館の受付で探す資料の名前を告げると、「そんな資料はありません。」といわれた。
そして、「あなた、先日もきませんでしたか?」といわれて、初めてだと答えてその理由を聞くと、「先日もその資料を探しに来た人がいて、市内で一番大きい図書館に行ってもらった。」というのだ。

軽便鉄道のことを調べているのは、私だけでは無いのだろう。
事実、歴史民族資料館で、許可を頂いて軽便鉄道の線路を復元したものを撮影していると、「これからトンネルに向かわれるのですか?」と声をかけられた。
もう何回も通っていると答えると、「五号隧道(行き止まりで柵のしてあるトンネル)の先はどうなっているんですかねぇ・・・」と聞かれたので、今まで調べたことを教えてあげた。

図書館の受付の方には、「武蔵村山市の教育委員会の作成した資料だから、市内の全図書館に備え付けられているはずだ」とお願いすると、しばらく待たされて「これですか?」と、目指す資料が出てきた。

次の写真は、工事中の堰堤を行くナベトロである。
最後尾のディーゼル機関車に座る二人の人間の大きさから、いかに小さいかお分かりだろう。

DVC00009.JPG

次の写真は、山口貯水池の水没する前の写真である。

DVC00021.JPG
(羽村市教育委員会編 村山・山口貯水池建築工事写真集より)

次の地図は、水没以前の様子であるが、山口村の中心を街道が一本貫いている。

昔の地図.jpg

次の写真の左は、完成当時の取水棟、右は現在のものだ。

DVC00007.JPG山口貯水池.jpg

次の写真は、完成直後の写真である。

DVC00006.JPG
(羽村市教育委員会編 村山・山口貯水池建築工事写真集より)

今回は、柳瀬川の起点のこと、羽村山口軽便鉄道の在りし日の様子など色々学んだことがあり、何をどう記事にしていいかまとまりつかなくなってしまった。
自分自身の中で、もう少し咀嚼しないと書けないので、今回はこの柳瀬川の起点の橋を取り上げてお茶を濁してしまった次第である。


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コメント 11

tooshiba

いつもご訪問ありがとうございます☆

ダムと言えば今は八ツ場が熱いですが、狭山湖の湖底にはかつての集落があったのですね。
今ダムがあるのは利根川の先のはるか山奥だったりするのを考えると、昔は人が少なかった?強権発動ができた(反対運動を押さえ込めた)?と、物思いに耽ることができますね。
駅員3さんが記事にして下さるからですが。m(_ _)m
by tooshiba (2010-01-25 01:10) 

manamana

軽便鉄道と比較すると、
ほんと、ダムが大きく見えますね。
by manamana (2010-01-25 05:54) 

くまら


取水棟、昔から変わってないんですね。
by くまら (2010-01-25 08:26) 

emu310

凄い調査が続きますね。
狭山湖、昔何度か行ったことがあります。こういう歴史、ちらっとも気にかけたことありませんでした。
再認識、今度行ったら、景色が違って見えるでしょうね。
by emu310 (2010-01-25 08:45) 

pace

狭山にもナローが走っていたのですね!
やはり野におけM38(サンパチ)
by pace (2010-01-25 16:02) 

風の子

奥多摩湖の沈んだ村については 思いを馳せても
狭山湖、多摩湖については 考えたこともありませんでした。
湖底に住んだ人々は もういないと思いますが 再認識いたしました。
by 風の子 (2010-01-25 22:42) 

しおつ

軽便鉄道のことは廃線関連の書籍にもよく紹介されていますね。
航空写真の仕事をしていた頃は、現在の写真から当時の軌道跡を
たどってみたりしました。
by しおつ (2010-01-25 23:07) 

swm104

やっぱ、男の車だぁぁぁ!!
格好いいですぅ。
by swm104 (2010-01-25 23:12) 

駅員3

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ご訪問と、ncieありがとうございます。

⇒tooshibaさん
そうですね、山口貯水池に沈んだ村はのことは、記録が少ないです。
そこに暮らしていた方々の生活はどうだったのか・・・すでに歴史に埋もれてしまっていますね。

⇒manamanaさん
はい、もっと凄い写真もあるのですが、ボチボチとアップして生きたいと思います。

⇒くまらさん
そうなんですよね。取水塔は昔のまま使われています。

⇒emu310さん
村山貯水池は幼稚園や小学校の遠足で何度も行ったことがあり、懐かしい場所ですが、東村山に軽便鉄道が走っていたこととか、最近知ったことも多くあります。

⇒paceさん
はい、羽村山口線と東村山の東京市軽便鉄道の二路線があったんですね。
M38は、やはり自然の中がお似合いですね。

⇒風の子さん
大正、昭和にこのダムの反対運動があったとの記録は見つかりませんでした。
公式の記録だからなのかもしれませんが、 村中総出でダムの完成を祝っている様子が残っています。

⇒しおつさん
なるほど、本職でらっしゃったんですね。
現在、1947年頃の米軍の撮影した航空写真を閲覧して、軽便鉄道の跡をほぼ特定できました。
後日アップします。

⇒swm104さん
はい、ありがとうございます。Jeepはどの角度から見てもいいですね。
by 駅員3 (2010-01-26 23:25) 

kiyotime

木造の橋をゆく小さな貨物列車、、いいですね。
砂利を積んだナベトロは相当重いでしょうが、
あんな小さな機関車で牽引していたんですね、、
by kiyotime (2010-02-05 01:35) 

駅員3

dekoさん、kskouzikさん、デザイン屋さん、空平-Sさん、kiyotimeさん、こんばんは。ご訪問と、niceありがとうございます。

⇒kiyotimeさん
そうですね、数十年も昔の機関車ですから、エンジンの出力も大きさの割には小さかったでしょうから、よくがんばっていたものだと思います。

by 駅員3 (2010-02-06 23:58) 

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