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東京の坂と橋 109 煩悩坂・・・玉川上水6 玉川上水を歩く第2回 [東京の坂と橋]

名前ふりがな別名所在地北緯東経全長高低差
煩悩坂ぼんのうざか有礼坂羽村市北緯35度45分20秒東経139度18分44秒100m3m

1月3日に玉川上水ウォークの記念すべき第一歩を記すも、肝心の玉川上水もさることながら、羽村の様々なポイントを回ってしまい、10kmも歩いたのに、実際の玉川上水は数百メートルしか歩けなかったことは、お話ししたとおりである。


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【中里介山の墓】
どんな寄り道をしたのか、『坂』や『橋』をポイントとしながらお話しを進めたいと思う。

ここら辺を歩いて気がつくことは、昔からの集落は、多摩川の東の河岸段丘の上に沿って広がっている。
その集落を縫うように奥多摩街道は走っているのに、JR青梅線は、少しはなれた東側に敷設されている。
これは、青梅鉄道を建設する際、蒸気機関車が吐き出す煙やら火の粉を嫌い、集落から少しはなれたところに敷設されたからだ。

羽村駅を出発して、一路羽村の取水堰を目指して歩いていくと、その途中次のような看板を見つけた。

20100103介山墓.jpg

おそらく自動車では、この前は気がつかずに通り過ぎてしまったことであろう。
歩いているからこそ、様々な発見が出てくるものである。
この看板をみて墓を訪れるまで、あの映画にもなった「大菩薩峠」の作者である中里介山が、羽村の出身で、墓がここにあることなど知る由も無かった。

20100103介山墓3.jpg中里介山は本名を『中里弥之助』といい、1885年(明治18年)に玉川上水の羽村取水堰近くの水車小屋で生まれた。
中里家は、自身所有の畑を持つ中農であったが、介山の少年時代は、田畑を売って食いつないでいる状態だったようだ。

介山は小学校を卒業すると、電話交換手や代用教員をしながら家計を支えていく。
厳しい貧しさの中で、向学心は衰えることなく、独力で勉強をし、正教員の資格取得をめざした。

その後介山は、上京して教員を続けながらキリスト教や社会主義運動に興味を持つようになり、1904年(明治37年)には、日露戦争の反戦詩を発表している。
  我を送る郷關(きょうかん)の人、
  願くは暫し其『萬歳』の聲を止めよ。
  靜けき山、清き河、
  其異様なる叫びに汚れん。
               (「乱調激韵」)

20100103介山墓2.jpgその後新聞社に就職すると、新聞紙上に「氷の花」、「高野の義人」などをつぎつぎと発表し、1913年(大正2年)の9月、介山28歳の時に「大菩薩峠」を連載する。

その後新聞社を退職し、高尾山に草庵を結んで執筆活動に専念するも、高尾山のケーブルカー工事で立ち退きを迫られ、奥多摩に移る。

児童教育には力をいれ、隣人学園という教育機関を作ったり、図書館や武道場を作ったりもしている。 

しかし、その奥多摩も青梅鉄道(JR青梅線)の建設が始まると、工事の影響からがけ崩れが起こり、生まれ故郷であった羽村に戻ってくる。

その後1944年(昭和19年)に腸チフスで亡くなった。
享年59歳という若さである。

次の写真は墓の様子である。
写真には、下の部分に羽村市教育委員会が設置した標識の影が映っているが、この墓の前に、上の写真にあるような説明書きがある。
20100103介山墓4.jpg


【東谷山禅林寺と煩悩坂】
開山の墓のある墓地は、臨済宗建長寺派の東谷山禅林寺の管理する墓地だ。
この墓地から、寺に向かって苔むした石段が続くが、この石段が『煩悩坂』である。

次の写真は、階段上から下を望んだところ。

20100103煩悩坂.jpg

坂を途中まで下ると、本堂の屋根が見えてくる。

20100103煩悩坂5.jpg

下り終わると、上り口のところに坂の名前を記した石柱が立っている。

20100103煩悩坂2.jpg

坂を下から見上げたのが次の写真だ。

20100103煩悩坂4.jpg

坂は本堂向かって左手裏に降りてくる。
正面に回るとこのような立派な本堂が建っている。

20100103禅林寺.jpg

1593年(文禄2年)の創建で、開山は円覚寺の三伯禅師の弟子である春覚禅師だ。
山号は、当地の旧地名『東ヶ谷戸』から『東谷山』と名づけられ、寺名は建長寺の額『天下禅林』から付けられたと伝えられている。
上の写真の本堂は、1958年(昭和33年)に建て替えられたものであるが、右奥の庫裡は天保年間の建築だ。

次の写真の山門は、1862年(文久2年)の建築と伝えられている。(羽村市教育委員会)

20100103禅林寺2.jpg

この山門の脇にある梅ノ木は、この寺の近くにあった中里家の庭に植わっていたものを移植したと伝えられている。

【羽村銀行跡地】
禅林寺の前を南に下ると、羽村の取水堰のところに出て行く。

次の写真の道の先に奥多摩街道との交差点があり、その先が玉川上水にかかる羽村橋となる。

20100103羽村銀行2.jpg

この写真の右手中央のフェンスの中から道に向かって標識が出ているのがお分かりだろうか?
現在は真新しいアパートが建っているが、ここは羽村銀行創立の地なのである。

20100103羽村銀行.jpg1899年(明治32年)郷士で羽村銀行専務取締役の島田六助の家の土蔵を改造して事務所として開業した銀行だ。
明治時代、養蚕業の発展に伴って、大口の資金などの必要性迫られて誕生した銀行で、一般農家への融資はわずかであったという。

1927年(昭和2年)武陽銀行羽村支店となり、支店は禅林寺の門前に移転した。
1942年(昭和17年)には日本昼夜銀行羽村支店、翌1943年(昭和18年)には安田銀行羽村支店となった。
戦後の1951年(昭和26年)埼玉銀行福生支店に吸収され、羽村支店の建物は取り壊された。(羽村市教育委員会)

・・・さて、次は羽村橋へと続く


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コメント 14

pace

まさしく歴史!
by pace (2010-01-07 02:19) 

BPノスタルジックカーショー

おはようございます。

お勉強になりますね!!
by BPノスタルジックカーショー (2010-01-07 05:48) 

kskouzik

歩いてこその発見、素晴らしいですね
歴史感じます。
by kskouzik (2010-01-07 06:10) 

manamana

そういえば、このあたりの青梅線は、
線路が真っ直ぐですね。
市街を避けた名残なんですね。
by manamana (2010-01-07 06:28) 

駅員3

くまらさん、xml_xswlさん、paceさん、BPノスタルジックカーショーさん、kskouzikさん、manamanaさん、はっこうさん、いわもっちさん、おはようございます。
ご訪問と、niceありがとうございます。

⇒paceさん
歴史って調べると面白いものですね。

⇒BPノスタルジックカーショーさん
ありがとうございます。
ローカルな話題で申し訳ありません。

⇒kskouzikさん
そうですね、街の空気を感じながら自分の足で歩くのっていいことですね。

⇒manamanaさん
そうなんですよね。比較的直線が続きますから、昔は何もない野原だったのでしょうね。
by 駅員3 (2010-01-07 07:35) 

Ranger

煩悩坂って名まえも、またいいですねぇ^^
都心から、それほど離れてなさそうなのに、
なんとも歴史深い物静かな所ですね
by Ranger (2010-01-07 10:37) 

お茶屋

いつもながらに貴重な情報を ありがとうございます!
by お茶屋 (2010-01-07 12:04) 

gen

今晩は。
駅員3さんの解説を読むと、歴史が身近なものに感じます。
教科書がこんな感じだったら歴史が好きになったのになぁ。
by gen (2010-01-07 20:20) 

mwainfo

禅林寺、一度訪ねてみたいです。
by mwainfo (2010-01-07 23:14) 

駅員3

ほりけんさん、takemoviesさん、Krauseさん、toshiroさん、dekoさん、@ミックさん、りぼんさん、enosanさん、小父蔵さん、ガンバルおやじさん、Rangerさん、さくら君さん、cocomotokyoさん、ponchiさん、お茶屋さん、ぷーちゃんさん、トロッコさん、空楽さん、キャラハンさん、gyaroさん、swm104さん、qoo2qooさん、mwainfoさん、shinさん、タイドマンさん、かずのこさん、genさん、たくさん、まちゃこさん、miruさん、Azumino_Kakuさん、JBOYさん、今造ROEINGさん、gardenwalkerさん、moroqさん、abikaさん、ブラザーボブかきもとさん、おはようございます。
ご訪問と、niceありがとうございます。

⇒Rangerさん
そうですね、ここら辺は新宿から中央線の特別快速で1時間ちょっとでこれますが、この恵まれた大自然は、いいですね。
そもそも東京の中心部は、江戸時代以降開けたところで、それ以前の古い歴史は、多摩地域に多いかと思います。

⇒お茶屋さん
いえいえ、こちらこそお読みいただいてありがとうございます。

⇒genさん
ありがとうございます。
そういっていただけると嬉しいです。
単に自分の好奇心を満たすために調べたものをアップしているだけなのですが(^^;

⇒mwainfoさん
禅林寺をはじめ、ここら辺の神社仏閣を訪ね歩くと楽しいと思います。
by 駅員3 (2010-01-08 07:31) 

空兵ーS

お寺に登る辛い階段が
煩悩坂とは
よく名付けられたものです。
by 空兵ーS (2010-01-08 22:29) 

駅員3

風の子さん、タケルさん、sonicさん、emu310さん、nougyoujinさん、youziさん、空平-Sさん、SILENTさん、こんばんは。
ご訪問と、niceありがとうございます。

⇒空兵-Sさん
そうですね、この坂を上って煩悩と決別するのでしょうか。
by 駅員3 (2010-01-09 23:57) 

kiyotime

惜しいですね、、煩悩坂108回だったら洒落ていたのに、、
って、違うか、、、
by kiyotime (2010-01-17 16:36) 

駅員3

sakさん、junさん、ケイさん、kiyotimeさん、こんばんは。
ご訪問と、niceありがとうございます。

⇒kiyotimeさん
108回目は12月11日の『天狗坂』だったんです。
そのときの記事で、「天狗が大団扇を振って煩悩を振り払う」と書いています。
そしてその次の109回目が『煩悩坂』とは不思議な巡り会わせを感じますね(^^)
by 駅員3 (2010-01-17 23:36) 

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