東京の坂と橋 107・・・数寄屋橋 [東京の坂と橋]
No | 日 付 | 備 考 | |
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1 | 2009/04/25 | インデックス 1 | プロローグ~No.50 |
2 | 2009/08/14 | インデックス 2 | No.51~No.101 |
3 | 2009/08/19 | インデックス 番外編 | No.1~No.33 |
4 | 2009/08/19 | インデックス 四方山話 | No.1~No.19 |
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名前 | ふりがな | 別名 | 所在地 | 北緯 | 東経 | 全長 |
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数寄屋橋 | すきやばし | ― | 中央区 | 北緯35度40分22秒 | 東経139度45分45秒 | ―m |
今日は数寄屋橋についてとりあげたい。
現在首都高速会社線の走っている場所が、かつては江戸城の外濠であった。
そして、この外濠が中央区と千代田区の区界となっている。
かつては『銀座川』とも呼ばれ、晴海通りが外濠を渡る橋を数寄屋橋といった。
江戸時代は、現在の晴海通りを東からやってきて、数寄屋橋を渡ると、そこは江戸城の数寄屋橋御門であった。
数寄屋橋の名前は、江戸時代織田有楽斎の屋敷があって、有楽町の地名の由来ともなったわけだが、この有楽斎の邸内に数寄屋造りの茶室があったことに由来する。
(戦前の絵葉書より)
戦前は1929年(昭和4年)に二連の石造りのアーチの美しい橋がかけられ、その橋の袂には日劇や旧朝日新聞本社があった。
この数寄屋橋は、戦後ラジオドラマからテレビドラマ、映画化されたことでも有名である。
舞台は戦時中、偶然行きあった若い男女が空襲の中を逃げてまわった。
無事に数寄屋橋にたどり着くと、半年後お互いに無事だったらこの数寄屋橋で再会しようと約束して分かれるも、運命のいたずらで二人はすれ違ってしまい、物語はさらに展開していく。
ヒロインが頭に巻いたスカーフはヒロインの名前を取って「まちこまき」とよばれ、昭和20年代の女性の間でもてはやされた。
次の写真は、ほぼ上の写真と同じ位置から撮ったものである。
今回の昔の写真は、数寄屋橋ショッピングセンターの中の工事中の外壁に掲出されている写真である。
最初の白黒写真は1956年(昭和31年)のものだ。
まだ首都高速の工事がはじまったばかりで、橋は形を残している。
次のカラー写真は、1965年(昭和40年)の数寄屋橋の様子で、中央右の建物が日劇、そして、右端の褐色の建物が旧朝日新聞社だ。
次の写真は、1956年(昭和31年)の数寄屋橋交差点から、皇居方面を望んだところだが、空が広々としていて気持ちがよさそうだ。
次の写真は、数寄屋橋5丁目公園からみた首都高速会社線で、首都高速が晴海通りを越える橋を「新数寄屋橋」と名づけられている。
現在の公園は、木々が大きく育って風景も一変している。
この数寄屋橋公園には、あの岡本太郎の作った時計台があり、「数寄屋橋ここにありき」という石碑が建っている。
数寄屋橋ショッピングセンターは、現在は『銀座ファイブ』と名づけられ、地下一階地上二階の三層構造になっていてレストランや様々なお店が入っている。
数寄屋橋のたもとの東側から皇居方向を見たところ。
写真右奥には国電の走っている高架線が写っている。
中央は、ニュートーキョーのビルだろうか。
次の写真の首都高速の橋げたにご注目いただきたい。
ちょっと判りづらいと思いうが、晴海通りに向かって『新数寄屋橋』と名前が見えるように貼られている。
数寄屋橋交差点の交番の裏にも小さな公園のようなスペースがある。
そこには、関東大震災10周年を記念して1933年(昭和8年)に北村西望の手による銅造彫刻が設置されて、現在に至っている。
先日もお伝えしたが、この托鉢をされているご僧侶のことがどうしても頭から離れない。
なぜなら、このつたない写真でも少しは雰囲気が伝わっていることと思うが、この寸分の隙も無い姿である。
私が見ていた数分間、微動だにもせず、私が喜捨するために近寄ると、まるで私の心が読めるように少しはなれたところから、鉄鉢をささげるようにして、頭を下げられた。
新宿駅にも托鉢をされているご僧侶を見かけるが、ここまで隙の無い姿をされているご僧侶を見かけたことが無い。
剣道の達人の方にこの写真をお見せしたら、「只者ではない。一分の隙もなく、後姿に殺気さえ感じさせる。」と言われた。
銀座というと何といっても服部時計店が昔の面影をそのまま伝えている。
最後に今日の懇親の一枚
昔と今が良く判りますね。建物の高さが全然違っていて
空が見えなくなってますね。
by kskouzik (2009-11-19 05:34)
白黒写真の車や建物
歴史を感じますね^^
by yuki999 (2009-11-19 08:33)
時代を超えて同じ場所を見れることって
なんだかとってもステキですよね☆
by お茶屋 (2009-11-19 10:08)
素敵な記事ですね。
今度このあたりを通るのが楽しみになります!
by かずのこ (2009-11-19 11:34)
托鉢の僧侶様、私は拝見したことがありませんが、一度拝見したくなりました。
by ナカムラ (2009-11-19 12:27)
こうやって今昔を見比べると面白いですよね^^
by くまら (2009-11-19 13:30)
数寄屋橋、懐かしい写真が一杯でした。
子供の頃から首都高速の出来る頃まで、よく行ってました。
有楽町会館、今は無いんでしょうね。
by emu310 (2009-11-19 14:40)
建物といい、車といい、年代を感じさせますね。
今よりも良い感じがします。
by たく (2009-11-19 21:21)
あれが真の数寄屋橋だったんですね。
すてきな二重橋だったんですね。もう見れないとは残念。
by さといも野郎 (2009-11-19 22:06)
キャラハンさん、燕っ子xml_xslさん、xml_xslさん、トロッコさん、@ミックさん、paceさん、kskoyzikさん、ガンバルおなじさん、いわもっちさん、はくちゃんさん、ほりけんさん、yuki999さん、お茶屋さん、gyaroさん、genさん、enosanさん、HALさん、takemoviesさん、かずのこさん、長森建設さん、小父蔵さん、空楽さん、ナカムラさん、さくら君さん、くまらさん、Krauseさん、emu310さん、トメサンさん、yukitanさん、水郷楽人さん、qoo2qooさん、タッキーさん、たくさん、nyankoさん、さといも野郎さん、単騎さん、gardenwalkerさん、たいせいさん、おはようございます。
ご訪問と、niceありがとうございます。
⇒kskouzikさん
今は空がせまくなってしまって寂しい感さえします(^^;
⇒yuki999さん
はい、昔を懐かしむ気持ちってなんなんでしょうね。
⇒お茶屋さん
そうですね、昔と今を比較して歳月の移り変わりを漢字ながら様々なその間にあった出来事を思い浮かべるなんて楽しいですね。
⇒かずのこさん
ありがとうございます。
時間があればぶらぶら昔を回顧しながら散策されるのもいいですね。
⇒ナカムラさん
機会があれば、数寄屋橋のこのご僧侶をお訪ねください。
あ、でも必ずここにいらっしゃるとは限りませんね。
⇒くまらさん
はい、昔と今の比較、そしてその間を埋める記憶をたどるのは楽しいものです。
⇒emu310さん
そうでしたか。私もこのあたりは父に連れられて散々歩いているはずですが、さすがに校則が出来る前の数寄屋橋の記憶は全くありません。
⇒たくさん
そうですね、古きよき時代・・・という感じですね。
⇒さといも野郎さん
そうなんですね、この橋を壊してしまったなんてもったいないですね。
by 駅員3 (2009-11-20 09:40)
数寄屋橋・・・君の名はでしたか
初めて碑を見たときはがっかりしましたね。
そのがっかり度は
高知の播磨や橋と双璧をなすのでは・・・
by 空兵ーS (2009-11-20 23:06)
空兵-Sさん、youziさん、mwainfoさん、junさん、おはようございます。
ご訪問と、niceありがとうこざいます。
⇒空兵-Sさん
そうですね、私の記憶の中では、すでに橋はなかったのですが、現在は往時の雰囲気が何も無く、せめて橋の欄干など残して欲しかったと思います。
by 駅員3 (2009-11-23 09:20)
マリオンも出来てだいぶ経ちますが、
日劇の丸い建物が懐かしいですね、、、
by kiyotime (2009-11-24 01:00)
何もない昔の方がいいなぁ...って思ってしまいます
最後の写真、素敵ですね♪
by sak (2009-11-24 16:12)
懐かしい写真をたくさん見せていただきました。
私が東京に出てきたのは、カラーの日劇のころのような気がします。
by sig (2011-09-19 17:56)