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東京の坂と橋8・9・・・鮫河橋坂・安鎮坂 [東京の坂と橋]

名前ふりがな別名所在地北緯東経全長高低差
鮫河橋坂さめがはしざか紀伊国坂新宿区若葉1丁目北緯35度40分50秒東経139度43分37秒230m10m
安鎮坂あんちんざか権田原坂新宿区南元町北緯35度40分44秒東経139度30分31秒300m11m

前回は赤坂御用地の東側にある薬研坂を取り上げたが、今回は、赤坂御用地の西に位置する港区と新宿区の区界にある鮫河橋坂と安鎮坂について取り上げたい。
前回の薬研坂は、中央がくぼんだ二つの坂に着いた名前であるが、今回も地形は同じく中央がくぼんだ二つの坂からなっている。
・・・が、名前は一つではなく、別々に名付けられている。


この断面図は、右が迎賓館から下ってくる鮫河橋坂、左が権田原交差点に向かう安鎮坂である。

鮫河橋坂は、迎賓館前を神宮外苑のある右方向に向かって下る坂である。
坂の下方右手に南元町公園があるが、昔この辺りは低い湿地で、かつては沼から鮫川が東南の赤坂溜池に流れていた。
鮫川とは、ここまで鮫が遡上してきたことから付けられたとも言われている。
その鮫川にはこの近辺に橋が架かっていたため、鮫河橋坂と名づけられた。

別名の紀伊国坂は、この坂の東側に位置する迎賓館が江戸時代は紀伊中納言の屋敷があったことから付けられたようだ。
湿地は江戸時代に外堀工事の残土で埋め立てられ、町屋となった。
現代では、新旧の住宅とマンションが立ち並ぶ地域である。
下りきった交差点には、赤坂御用地に入る古い門があり、皇宮警察の警察官が警備している。
皇宮警察官のホイッスルの肩から提げている房は『紫色』であるが、そのはす向かいにある交番の警察官の房は白色である。


左の写真は坂の下方から四ツ谷方向を見上げたところである。
右の写真は坂下交差点にある赤坂御用地の門である。

その交差点から神宮外苑に向かって神社庁前辺りまでの上り坂が安鎮坂である。
安鎮坂の名前の由来は、付近に安鎮大権現の小社があったことによる。別名の権田原坂は付近に屋敷のあった権田氏、あるいは権田原僧都の碑にちなむなど諸説ある。
坂を上りきった先の交差点は権田原交差点(ごんだわら)で外苑東通りと交差する。
坂の左手神社庁の先には明治記念館が、右手には赤坂御用地の中で東宮御所ある辺りである。
あのビートタケシがバイクで事故った場所としても有名である。


左の写真は坂の下方から権田原交差点に向かってみたところ。
右の写真は、坂の下方を見たところである。

ここまで紹介してきた坂は概ね江戸時代の地図と道が一致しているが、ここは残念ながら微妙に食い違っている。

 

神宮外苑の絵画館前は休日ともなれば、沢山の人出でにぎわう。

さてさて、今回も伝説を探したが、四ツ谷の番町まで行かないと見つからなかった。
・・・そう『番町皿屋敷』である。


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コメント 3

kiyotime

たけしの事故現場ですね。 
ここは意外と交通量が多いのにスピードが
出るし、まして権田原の右左折の車の
溜まり具合を見て車線変更する輩が
多いから時々ヒヤッとすることあります。
by kiyotime (2008-02-19 01:59) 

駅員3

kiyotimeさんこんばんは、いつもご訪問ありがとうございます。
kiyotineさんも結構いろいろなところに出かけているのですね。
by 駅員3 (2008-02-20 21:33) 

駅員3

さとふみさん、水郷楽人さん、STEALYHさんこんばんは
ご訪問とniceありがとうございました。
by 駅員3 (2008-02-20 21:34) 

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