東京の坂と橋 四方山話52 江戸の町2 町人の暮らし向き [東京の坂と橋]
前回から江戸の町について、とあるイントラ上に連載しているコラムに掲載したものについて、blog用に改めて書き下ろしている。
今日は、江戸の町に暮す町人の暮らし向きがどんなものだったのか見てみよう。
江戸の町はその70%が武家地で、寺社地と町人地がそれぞれ15%となっていたといわれている。
ところが人口の比率でいくと、武家が50%、町人が50%であったことから、町人はかなり密集して暮らしていたと推測される。
時代劇でよく出てくる町人の暮す『長屋』は、上水井戸(神田上水や、玉川上水で配水された上水道の水をくみ上げる場所)を中心に、長屋が配されていた。
上水井戸の脇には共同洗濯場があり、長屋の外れに共同トイレがあったという。
町人が暮す一般的な長屋の広さは、間口が2.7m(9尺)、奥行きが3.6m(2間)、面積9.7㎡(3坪=6畳間)という狭さだった。
戸を開けて中に入ると、1.5畳ほどの土間があり、竃があった。
土間に続き4畳半ほどの畳の部屋があった。
竃の燃料は薪で、暖房などは火鉢に炭をおこしていたようだ。
夏暑ければ、外に打ち水をして気温を下げたという。
夜になると、明かりは菜種油を燃やして灯りとしていた。
ろうそくは高価なもので、店を構えるような商家でなければ買えなかったようだ。
庶民の食生活は、きわめて質素で、米、野菜が中心。
鶏肉や、鶏卵は貴重な蛋白源だったようだ。
行商が売りに来る魚などは、高級食材だったが、一方『初鰹』などの季節の初物に大枚はたいて味わう贅沢も江戸時代に始まったようだ。
内風呂は火災予防の観点から大身の武家屋敷に限られ、人々は町の銭湯に通った。
現在の浴槽に浸かるという入浴スタイルは、江戸中期頃に確立されたようだ。
銭湯は、庶民の娯楽、社交場としての機能があり、落語なども行なわれていたという。
男湯と女湯を設けるのは、経営的に困難で、男女混浴であったようだ。
幕府は、何度か混浴を禁止したが、守られなかった。
・・・つづく
なるほど。。。
今も昔も庶民は辛いですね~
質素ながらも人のつながりは強かったように思えますね。
by レイリー (2012-04-12 01:36)
おはようございます
狭い家での生活のようですね。
>『初鰹』などの季節の初物に大枚はたいて味わう贅沢も
こんなところがいいですね。 それが楽しみだったのでしょうね・・いいな!
by すー (2012-04-12 04:42)
おはようございます。
江戸っ子ですね、今は絆?ですが。
by YUTAじい (2012-04-12 05:26)
長屋生活が当たり前、近いところでは、炭鉱の町の鉱夫の生活状況といったところなのでしょうね。
すべてに恵まれている現在からみれば余計なことを考えるかもしれませんが、当時としてみれば、思いやり、助け合い、逞しさといったものにあふれていて、
より人間らしい営みだったように思います。
by よしあき・ギャラリー (2012-04-12 05:53)
そういう暮らしをしていたのですね〜
by pandan (2012-04-12 06:01)
庶民は個人情報保護法なんて関係なかった。
筒抜けになんでも知り合っていたんですね。
by 斗夢 (2012-04-12 06:28)
駅員3さん
思っていた以上に、江戸っ子は、質素な暮らしだったのですね。
暮らしている場所も、かなり限定されていたようですし、
厳しい中での町人同士の結びつきも、近代化した明治から戦中、徐々に崩壊して現代化していった戦後以上に強かったのでしょうね。
by kiyo (2012-04-12 06:34)
お早うございます。
面白く読みました。
昨日偶然に神田上水開削の苦労話の講談、テレビで見ました。
by 夏炉冬扇 (2012-04-12 07:52)
お早う御座います^^)
混浴ですか~ある意味おおらかだったのですね。。。
by rtfk (2012-04-12 08:17)
町人の暮らしって大変そうですね(++)
by koume (2012-04-12 08:44)
いつの世も末端は苦労させられますね。
by 馬爺 (2012-04-12 09:42)
男女混浴か~!><やだな~!笑
by 今造ROWINGTEAM (2012-04-12 11:29)
今の時代に生まれて良かったと思えますね(^^;
by (。・_・。)2k (2012-04-12 12:06)
こんにちは。
興味深い生活の内容です^^
幕府のお膝元ですから、武家社会中心なので、
上方の町人文化とはまた違った感じですね。
by perseus (2012-04-12 12:29)
こんにちは。
ケロリンの洗面器が・・・・このあいだ佐久近郊の温泉
もちづき荘で見たような気が・・w
男女混浴って女性が集団でいたりすると、結構男性が
引いちゃったりするんですよね~。
by mk_papanero (2012-04-12 17:06)
近隣のお百姓さんが、肥料として「人糞」を集めて廻ったそうですが、庶民のものより武家の方が喜ばれたそうです。
そう、武家は魚を良く買って食べますので、「人糞」に含まれるアミノ酸(肥料の三大要素である、窒素・リン酸・カリウム)が豊富だったようです^^;)
by 風来鶏 (2012-04-12 19:14)
長屋の人情と言うか支え合う姿が良いのでしょうね。
江戸っ子の粋な気風も好きです。
by ナビパ (2012-04-12 19:31)
明治時代の大磯の海水浴場
男浴場、女浴場の立て札が立ち
別々に海に入ったようですよ
まあ見えてしまうのはあったでしょうけど
露天風呂と一緒ですねー
by SILENT (2012-04-12 22:39)
今でも、脱衣場は別なのに中は一緒ってありますよね。
でもまあ、ご近所さんがたくさん一緒に入浴してるのを
想像すると、気恥ずかしいを通り越して家族親戚みたいな
感覚になりそうです。
同じ井戸の水を飲んだ仲、同じ湯に浸かった仲ってとこでしょうか^^
by みずき (2012-04-12 23:51)
面白いですね^^。
by 海を渡る (2012-04-13 17:02)