東京の坂と橋 130 切支丹坂 [東京の坂と橋]
名前 | ふりがな | 別名 | 所在地 | 北緯 | 東経 | 全長 | 高低差 |
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切支丹坂 | きりしたんざか | ― | 文京区小日向1丁目 | 北緯35度42分47秒 | 東経139度44分20秒 | 100m | 5m |
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文京区は都内で1、2位を争う坂の多い区であることは、昨年のお正月にもアップした。
⇒なぜ文京区は坂が多いのか
今回は、小石川台地と小日向台地の間の谷に向かって、西側の小日向台地から下る坂をご紹介しよう。
小石川台地と、小日向台地については、上記のリンクで過去の記事をご覧いただければ幸いである。
さて、文京区はさすが『文京』というだけあって、旧町名の由来の表示や、『坂』や『旧跡』などに多くの標識を掲出している。
ところが、残念ながらここ『切支丹坂』は、地元に掲出されている地図にはその名前の記載はあるものの、坂の標識はない。
文京区は、江戸時代に出版された江戸切り絵図などと比較すると、細かい路地まで非常によく現代の地図と重なる。
多くの名前のついた坂が江戸から現代にも生き続けている所以でもあろう。
ここ『切支丹坂』の名前の由来は、この坂に隣接して江戸時代に切支丹屋敷があったからである。
『切支丹屋敷跡』は、大正7年に東京都の旧跡に指定されている。
屋敷跡には、石碑と標識が設置されているが、その標識には次のように記されている。
江戸幕府はキリスト教を禁止し、井上筑後守政重を初代の宗門改役に任じ、気キリスト教徒を厳しく取り締まった。
この付近は宗門改役を務めていた井上政重の下屋敷であったが、1646年(正保3年)屋敷内に牢屋を立てて、転びバテレンを収容し宗門改めの情報集めに用いた。主な入牢者にイタリアの宣教師ヨセフ・キアラ、シドッチがいた。
1724年(享保9年)火災により消失し、以後再建されぬまま1792年(寛政4年)に廃止された。
この石碑の立っているすぐ南側に東に向かって下る坂がある。
次の写真は坂の上から見下ろしたところであるが、正面に見えているガードの上を丸の内線が走っている。
坂は丸の内線のガード下まで続く。
トンネルの中から坂を振り返ると、次のようになっている。
周辺には、大規模なマンションが林立しているが、ここ小日向台地は、都市計画のおかげなのか閑静な住宅街が続いていて、緑も多い。
文京区を歩くと、随所に明治、大正時代から、昭和初期までさかのぼるであろう当時のインフラ整備の跡が見つかる。
こんなものを探しながらぶらぶら歩くのもまた、文京区の坂の探訪の楽しみの一つでもある。
こんばんは。
地域の名称と歴史の関係が非常に
面白いですね。こういった奥の深い地域史的な
内容は非常に興味がありますね^^
by perseus (2010-07-08 01:49)
おはようございます。
よそ者には東京は平らというイメージがありますが、意外と坂が多いのですよね。
by すー (2010-07-08 04:46)
何気ない坂の風景・・・やっぱり良いですねぇ~。(^o^)/
取材は大変なのでしょうけど頑張ってくださいねぇ~
by 八丁掘 (2010-07-08 06:47)
いつも記事を拝見していますが私のような田舎から見ると都内に坂なんてあるとは全く思っていなかった。
by enosan (2010-07-08 09:22)
地下鉄の車庫があるんですね~
by ハイマン (2010-07-08 13:07)
気遣いコメントありがとうございます。体調にはお互いに気を付けていきましょう。お陰様で随分回復しましたよ~^^
by ritton2 (2010-07-08 15:18)
坂道歩き、暑い時期ですから中断しています
夏が過ぎればと思っていますが、どうなりますか
文京区の坂は、殆ど歩いていません、行きたい
所なんですが!!
by koh925 (2010-07-08 19:36)
昔の道が舗装されたとはいえ、いまと一致するのは面白いですね。
どんな人々が通ってきたのか、由来を聞くと昔を想像するのも楽しいです。
でも、この坂は暗い過去もあるのですね。
by しおつ (2010-07-08 22:36)
地下鉄の地下をくぐるこのトンネル、、
実はよくクルマで通ります。
切支丹坂っていうんですね、、、
by kiyotime (2010-07-17 22:38)