東京の坂と橋 121 加美上水橋と廃線跡 玉川上水を歩く第10回(玉川上水14) [東京の坂と橋]
名前 | ふりがな | 別名 | 所在地 | 北緯 | 東経 | 全長 |
---|---|---|---|---|---|---|
加美上水橋 | かみじょうすいぱし | ― | 福生市加美平 | 北緯35度44分41秒 | 東経139度19分09秒 | 20m |
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玉川上水にかかる橋としては6番目の橋である。
この橋は、右の写真の通り、幅が狭く車は通れず、人道橋となっている。
実はこの橋、もとは鉄道の鉄橋だったものを人道橋に改造して使用されているのである。
1927年(昭和2年)2月に、大正天皇の陵墓造営に必要な石を玉川から運ぶために、福生駅から西に進み、多摩川の福生市と羽村市の境付近まで1.8kmを砂利運搬専用軌道が施設され、国鉄福生河原支線とよばれた。
往時は一日2回、電気機関車が4~5輌の貨車を引いて走っていたという。
地元の人は、この鉄橋を枕木をまたぎながら渡っていた。
1959年(昭和34年)12月に砂利運搬は中止され、1961年(昭和36年)3月には線路、架線が撤去された。
その後1962年(昭和37年)7月に当時の福生町に売却されて人道橋に改造された。
さらに1991年(平成3年)3月に欄干等改良整備されて、加美上水橋と命名された。
次の写真は国土地理院が1961年(昭和36年)9月に上空2000mから撮影した航空写真である。
これ以前の写真を何枚か比べてみたが大差なく、一番鮮明な写真を選んでみた。
写真右下が福生駅で、右下隅から、北北西に伸びていく線が青梅線である。
そして、まっすぐ西に向かい、多摩川に出て上のほうにカーブしていく線が、福生河原線である。
福生駅西口を線路沿いに北に進むと、このような分岐が現れるが、この分岐を左手に行く道が廃線跡である。
次の写真は、逆方向から線路のほうを見たところ。
写真中央正面に黒い車が停まっているが、まさにその車のある辺りから手前に線路が延びていた。
正面の家の裏側が青梅線である。
西に緩やかに直線で下っていくと、奥多摩街道と交差し、その先(正面突き当たり付近)が加美上水橋となる。
鉄橋を渡って多摩川に出ると、右に大きくカーブしながら、坂を下りていく。
その後数百メートル直進して福生市営競技場に突き当たる。
次の写真の正面が福生市営競技場だ。
この土手には、このような不思議な遺構があった。
おそらく土手の下をくぐる隧道があったのだろう。
いまでは、コンクリートの板でふさがれている。
昔ここを電気機関車が貨物を引いて走っていたという面影は、今は全く無い。
多摩地区に人があまり多く住んでいなかった時代には、線路なんて敷き放題だったのでしょうね。
それに、鉄道貨物がそれなりの地位を占めていた時代でもありましたから、必然性もあったのですよね。
しかし、今や物流は圧倒的に自動車(トラック)が主力となり、青梅線と並行する道路も見違えるように整備されました。
道路=自動車にシフトしたのは、時代の要請?政治が流れを作った?の結果かもしれませんが、21世紀の低炭素時代には既存の設備(鉄道貨物)も活用できないものかしら。と思います。
つまり鉄道貨物の復権です。難しいとは思いますが。
by tooshiba (2010-02-05 02:05)
おはようございます。
当時は道路を作るより鉄道の方がやり易かったのでしょうね。
by BPノスタルジックカーショー (2010-02-05 05:11)
東京の発展には、多摩川の砂利が重要だったのでしょうね。
東急新玉川線とか、西武多摩川線とか、京王相模原線とか、
いまでも活躍している線もありますが、
消えていった線もたくさんあるんでしょうね。
by manamana (2010-02-05 06:37)
運搬のために線路、今では考えもつきません。時代ってこういうことなんですね。
(昭和2年)になってます。1947年、私の生まれた年です。
重箱の隅っこ、ほじってしまいました。
by emu310 (2010-02-05 08:15)
玉川上水の歴史、大変興味深いです。森まゆみさんが「谷根千」を広めたように、地道な活動に頭が下がります。
by mwainfo (2010-02-05 10:56)
潜っちゃいけないとは言われつつ
防空壕とか探検していたよなぁ~
by ハイマン (2010-02-05 21:48)
昔の航空写真や地形図を見るのは大好きです。
以前の職場では筑波の国土地理院に何度か仕事で行きました。
by しおつ (2010-02-05 23:05)
普通の道から斜めに分岐している道を見ると、わくわくします。
その終点にトンネル跡なんて最高ですね。
いつか歩いてみたいです。
by sonic (2010-02-06 22:24)
わざわざお知らせしていただき、ありがとうございます。
あの後、すぐに宮脇俊三先生の名著を確認したところ、Ⅴ巻に載っていましたね^^☆廃線=過去をアーカイブする作業は大変なことです。感服いたしました。
by me-co (2010-02-06 23:33)
ルパンが出てきてびっくり!!
昔の面影がある風景っていいですよね。
by ベル (2010-02-07 07:42)
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ご訪問と、niceありがとうございます。
⇒tooshibaさん
確かにそうですね。これから以下に鉄道輸送とトラック輸送を組み合わせて効率的に荷物を運ぶのか課題となるでしょうね。
⇒BPノスタルジックカーショーさん
そうですね、昔はトラック輸送より、鉄道輸送のほうがコストも安く、大量に運べて効率が良かったのでしょうね。
⇒manamanaさん
そうですね、立川界隈には砂利電の廃線跡がたくさんあります。
そのうち取り上げようかとも思ってます。
⇒emu310さん
おっと、本当だっっ
1927年の誤りですね。直しておきます(^^)
ありがとうございました。
⇒mwainfoさん
ありがとうございます。
変わりゆく姿を少しでも残しておきたいという気持ちが大きく、今回玉川上水に取り組み始めました。
⇒ハイマンさん
そうそう、子供の頃、そんな探検が大好きでしたね。
⇒しおつさん
あ、しおつさんは本業でしたね。
時系列で航空写真を並べてみると楽しいものですね。
戦前の航空写真も公開されているものがあるといいのですが・・・
⇒sonicさん
そうですね。廃線跡のたびは、推理と往時を偲ぶ想像力が刺激されて楽しいですね。
⇒me-coさん
ありがとうございます。
半ば自身の好奇心を満たすたびでもあります(^^)
⇒ベルさん
ありがとうございます。
そうですね、この昔の面影をいつまでも失いたくないものです。
by 駅員3 (2010-02-07 23:54)
おお、不自然な分岐路、、いいですね。
河原の軌道跡もいい雰囲気です、、
by kiyotime (2010-02-08 00:40)