東京の坂と橋 108 天狗坂 [東京の坂と橋]
名前 | ふりがな | 別名 | 所在地 | 北緯 | 東経 | 全長 | 高低差 |
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天狗坂 | てんぐざか | ― | 渋谷区猿楽町5 | 北緯35度39分11秒 | 東経139度42分16秒 | 36m | 2m |
東京の坂と橋を取り上げるようになって百八つ目が『天狗坂』というのは、特別狙ったものではなく、何かしら特別な力でも働いたのだろうか
私の百八つの煩悩を天狗が大団扇を振って振り払ってくれたのだろう
さて、坂の上には、車止めに道の中央に石が置かれているが、坂の上に向かって「てんぐ坂車止」と印されている。
裏側に回ると、寄進した方の名前が記されているが、下のほうはコンクリート舗装に覆われてうずまっている。
「世話人小池金作」と読むのだろうか。
渋谷区教育委員会が設置した看板によると、次のように説明されている。
この坂を、てんぐざかといいます。岩谷松平(号を天狗、嘉永2年~大正9年 1849~1920)は、鹿児島川内にうまれました。
明治十年に上京し、まもなく銀座に、紙巻煙草の磐田に天狗商会を設立し、その製品に金天狗、銀天狗などの名称をつけ、「国益の親玉」「驚く勿れ煙草税金三百万円」などの奇抜な宣伝文句で、明治の世を風靡しました。
煙草の製造に家庭労働を導入するなど当時としては画期的、独創的な工夫をしました。
明治三十八(1905)年煙草専売法が実施されると、この付近の約四万三千平方メートル(一万三千坪)の土地に、日本人の肉食による体質の向上を考えて、養豚業を始めるなど、国家的な事業に貢献しました。
晩年、岩谷天狗がこの地に住んだことから、この坂名が生まれました。
全長わずか36m、標高差2mの小さな坂に名前の着いた所以が、『明治のたばこ王』とあだ名された岩谷松平にちなんだ名前だったのである。
岩谷松平については、「たばこと塩の博物館」のHPに詳しく紹介されている。
⇒煙草と塩の博物館の岩谷松平のページはこちらから
坂の上には、平屋建ての個人の家が建っていて、その庭には庚申塔、廿三夜塔、地蔵塔が道に向かって置かれている。
私有地ないにあるが、写真を撮らせていただいた。
江戸時代の民間信仰の一つに庚申講(こうしんこう)があるが、60日ごとに講中が集まって念仏を唱え長寿を祈っていた。
その信仰の対象として、庚申塔が建立され、表面には、青面金剛(しょうめんこんごう)、天邪鬼(あまのじゃく)、日月、三猿その他が彫ってある。
また、二十三日の夜集まって、月の出を待つ講を廿三夜講といい、廿三夜塔を建立して信仰した。
講は後にレクリエーションの場となっていく。
地蔵立像の供養塔には「左目黒道」と彫っていることから、道しるべにも使われたのだろう。
これからの供養塔から、江戸時代そう孫であった渋谷村の生活の一端がうかがえる。
こんにちは。
この辺はたまに通りますが・・・・・
こんな歴史が有るとは知りませんでした。
by BPノスタルジックカーショー (2009-12-12 13:39)
こんな小さな坂にも名前が付いているところがやはり東京ですね。
それにしても天狗坂というので、あの鼻の高い天狗を想像していたのですが
個人の雅号から来ているんですね。
by 空兵ーS (2009-12-12 14:23)
お地蔵さんには癒されます(^^
by さといも野郎 (2009-12-13 17:21)
なぜ「岩谷坂」じゃないのか、、、
天狗じゃ他の由来を想像しそうですよね、、
by kiyotime (2009-12-14 00:28)
天狗坂も、『明治のたばこ王』も知りませんでした。
一気に頭に入りました。
いい具合のフレアー、例のレンズでしょうか。
by emu310 (2009-12-16 07:47)