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東京の坂と橋1・・・幽霊坂 千代田区 [東京の坂と橋]

名前ふりがな別名所在地北緯東経高低差
幽霊坂ゆうれいざか光感寺坂、埃坂千代田区神田淡路町2丁目北緯35度41分東経139度45分5m

 

さて、プロローグでご覧いただいたこの写真、背景から浮き出ているように見えるのは私だけだろうか?

JR御茶ノ水駅東口の改札を出てニコライ聖堂の方に向かうと、ニコライ聖堂の道路反対側にその坂はある。
江戸時代はニコライ聖堂北側を西に向かう坂とつながった一つの坂道だったが、大正13年(1924年)に区画整理で本郷通り(都道403号線)を通したときに、坂は東西に分かれて二つの坂になった。
ニコライ堂北側を西に向かう坂を「紅梅坂」という。周辺は昔ここら辺一帯を紅梅町と呼ばれていたようで、地名から来ているのだろう。

上は左が現代、右が江戸切絵図である。
いずれも、幽霊坂の部分を赤く色付けしてみた。
江戸切絵図の左上にひっくり返って「●現在・・」とある辺りが、JR御茶ノ水駅東口の改札を出て東京メトロ千代田線の新御茶ノ水駅入り口に向かって通りを渡ったところである。
ニコライ聖堂は、定火消役の屋敷があった辺りで、分断された紅梅坂は左図の左やや上にその名を残している。

『東京名所絵図』によると、「樹木陰鬱にして昼尚静寂たりしを以って、俗に『幽霊坂』と唱えたり。」とある。
東京にある幽霊坂の名前の起源は、このように昼なお暗い鬱蒼とした森であったり、近くに寺社、墓などがあって付けられたのではないだろうか。

ここの幽霊坂の別名は、「光感寺坂」、「埃坂」とも呼ばれている。
光感寺というのは、残念ながら江戸切絵図で近辺を確認したが、見つからない。
インターネットで照会すると、東京では上野と浅草の間に位置する寺が出てくるほか、どうも甲賀忍者の甲賀に関係する寺の名前が出てくるが、定かではない。
埃というのは、近くの神田川にゴミを捨てた・・・不法投棄の場所であったからだろうか。


上の写真は、ニコライ聖堂側の本郷道りに面したところから、撮ったものである。周辺大通り沿いは、高層の事務所ビルが立ち並ぶ近代的なオフィス街であるが、淡路町に向かって一歩裏通りにはいると、昭和の終わりから平成にかけてのバブルの地上げにも屈せず、昭和のにおいのする木造の建物なども存在する町並みである。
下の写真は、神田川にかかる昌平橋方向からみたもので、近代的なビルと、木造の古い家屋が混在している様子がうかがえる。

ここで、みなさんもお気づきのことと思う。
幽霊坂の東側には、昌平橋があり、西側には、聖橋がある。
そして、幽霊坂と神田川の間には、淡路坂があり、神田川対岸には、昌平坂がある。

次回は、同じく千代田区富士見にある幽霊坂を取り上げてみたい。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 







 


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