東京の坂と橋 番外編114 佐久甲州街道百観音 [東京の坂と橋]
先日北八ヶ岳に行く途中、面白いものを発見した。
東京からは中央自動車道を須玉までくだり、国道141号線を北上する。
この国道141号線は、昔の佐久甲州街道にほぼ重なる。
佐久甲州街道は古来甲州往還と呼ばれ、甲州街道韮崎から須玉を経て平沢峠を越え信濃に入る。
八ヶ岳連山の東山麓を、千曲川沿いに中山道岩村田に、更に北上すれば北国街道小諸に至る道だった。
中世以来東海道筋の人々の善光寺参りの道であり、逆に富士講や伊勢講の旅人が行き交う高原の道だ。
また、茶・塩など食料から材木を運ぶ物資輸送の大切な道でもあった。
さらに、戦国時代には、武田信玄の信濃攻略の極めて重要な軍用道路として利用されたりもした。
次の地図は、国道141号線をトレースしたところ。
次の写真は、道路より高いところから見た写真だが、何かお気づきのことはないだろうか?
これでお判りの方は素晴らしい。
もう少し近づいてみよう。
この道は、年に数回は通る道だが、今回須玉インターを降りて北上すると、道の駅『南きよさと』の手前の山側の斜面が今まで杉林だったのが、伐採されて丸坊主になっているところがあった。
すると、一瞬だったが丸坊主になっている斜面に巨大な庚申塔のようなものを発見。
「えっ、なんだあれ。」一瞬であったのと、スカウトたちを乗せてしらびそ小屋に向かっていたこともあり、帰り道に寄ることにした。
邪魔にならないところに車をとめて斜面を登ってみると、それはあった。
近づいてみると、かなり大きく立派だ。
百観音と印された非常に大きな石塔だ。
向かって右側には建立された年月がきざまれてる。
嘉永3年9月吉日とある。
嘉永3年といえば1850年、今から162年前ということになる。
幕末に近い嘉永年間は、ペリー提督率いる黒船の来航があったり、歴史に残るような大地震が続き、まさに世の中は大激震の時代だった。
そんな中、箕輪村の有志がこの百観音を建立したようだ。
石仏の左側に回ると、発起人として三人の名前が記されている。
百観音とは、西国三十三箇所、坂東三十三箇所、秩父三十四箇所の総称で、全て回ると百観音となる。
江戸時代、これら全てを回るのは並大抵のことではなかっただろう。
発願人が三人いることから、三人で手分けして回ったのだろうか?
いずれにしても百観音の巡礼を達成しての石塔なのだろう。
ただ残念なことに、手入れをされている形跡はなにもない。
ここにお参りする人がいれば、自然と道はできて石塔の前など踏み固められているだろう。
ところが、石塔の前は落ち葉が積もってふかふかの状態で、地元の方々がお参りしていた形跡は何も無い。
石塔の上部には三面の菩薩が彫られている。
こんばんは。
見た感じ、かなり荒れているような中での、
不思議と綺麗な状態で残っているように見えます。
人間の手が及ばなければ、このようにしっかりと
残るものなのですね!?
by perseus (2012-04-06 00:29)
こんな殺風景なところにあるのは可哀相な気もしますし、
またこんなところでも傷みも少なく、しっかり建っているのも
スゴイなぁとも。。。
by 銀狼 (2012-04-06 01:42)
おはようございます
ちゃんと整備してあげたいですね。
by すー (2012-04-06 04:41)
おはようございます。
気がつかれる、駅員3さんが素晴らしいですね!
私なら通過してます。
by YUTAじい (2012-04-06 05:15)
おはようございます。
ここはツーリングの定番でした。
最近はご無沙汰してます。
by BPノスタルジックカーショー (2012-04-06 05:19)
普通の墓石と素通りするところなのでしょうが、よく気付かれましたね。
日本の仏教文化の底辺の広さを感じます。
by よしあき・ギャラリー (2012-04-06 06:09)
ぽつんと〜なんだか不思議な光景ですね。
by pandan (2012-04-06 06:18)
左側の菩薩さんのお顔は穏やかですね。
真ん中と右側の方はちょっと難しいお顔です。お名前を刻んだ3人なのでしょうか。
by orange (2012-04-06 09:05)
杉木立が伐採されていなかったら誰にも気づかれずにたっていたでしょうね。
彫りも深く立派な石塔ですね。
by gen (2012-04-06 09:38)
社とは言いませんが
屋根位付けてあげても良いような気が^^;
by くまら (2012-04-06 10:07)
駅員3さん、
佐久も、小諸も、信州も、さらには、八ヶ岳も、最近すっかり行っていません。
以前は、軽井沢(鬼押し出し)や信州方面に、月に数回も通ったことがあるのですが、ここ数年行ってないですね。
今回の百観音の石塔は凄いですね。
何かしらの重みを感じます。
by kiyo (2012-04-06 13:23)
こんにちは。
すごいところに、ありますね。
通る車などを見守っているんでしょうか。。。
不思議ですね。
by koume (2012-04-06 13:36)
これまで木々に覆い隠されていたのですね。。。
こんな形で陽の目を見ようとは(^w^)
お参りする人があればいいのですが。。。
by rtfk (2012-04-06 14:46)
こんばんは。
いいものですね。こういうの大好き人間です。3人連れだって行脚したのではないかなぁ。
御子孫がいるはずでしょうに。お参りがないのは寂しいですね。
by 夏炉冬扇 (2012-04-06 18:02)
彫られているのは馬頭観音のように見えます。
百観音に馬頭観音はそれほど多くないと思うんですが
なにか思い入れがあるんでしょうかね?
百観音の記述がある最古のものは佐久にある、ある城跡にある碑のようです。
by Sazaby (2012-04-06 19:35)
杉木立で隠れていたのでしょうね。
ちょっと気になるのは、左手(?)の上にスズメバチの巣があることです^^;)
by 風来鶏 (2012-04-06 20:05)
10年余前まで、住んでいた町の小さな沢へ、たけのこを採りに入ると
おびただしい、小さな墓石がならんでいるところがあります。昭和の合併前までは、人が住んでいたのですが今は足を踏み入れる人も少なく荒れ放題。墓石を読み取ろうとするのですが、天保?の文字までしか見えません。誰も管理する人がいなくなった無縁仏に、6月の沢風が何とも冷たい。
by さきしなのてるりん (2012-04-06 20:25)
こうして姿を現すとこれからは手入れして
お参りする人が出来ればよいのですが。。。
そうすれば救われるような。。。。
by ナビパ (2012-04-06 20:53)
ポツンと一人・・・・って感じですね〜^^:
こういう所・・・・知ってる人しか通らなような道でしょうか?
寂しいねえ〜〜^^;
by hatumi30331 (2012-04-06 21:54)
こんばんわ
あれ~この道しょっちゅう通るんですがこんなのあったんだ。
今度見に行ってみよう。たぶん佐久のアパートからなら1時間も
かからない場所ですし(^-^)
by mk_papanero (2012-04-06 22:30)
おもわず拝んでしまいました。
by てんてん (2012-04-06 22:41)
こんばんは。
この百観音は、この場所が整地されるときに、きちんと整備されることになるのでしょうね。
by sig (2012-04-06 22:59)
杉林の中に長い間、埋もれていたのでしょうか。
by そらへい (2012-04-06 23:10)
こんばんは、
クルマだと何気なく通過してしまいそうなところ、よく気がつかれましたね(^_^)
by Azumino_Kaku (2012-04-06 23:16)
今後、どうなってしまうのか気になります
by 飛狼 (2012-04-07 20:47)