東京の坂と橋 151 大栗橋 多摩の石仏を巡る1 [東京の坂と橋]
名前 | ふりがな | 別名 | 所在地 | 北緯 | 東経 | 全長 | 全幅 |
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大栗橋 | おおぐりぱし | ― | 多摩市関戸 | 北緯35度38分51秒 | 東経139度27分09秒 | 39m | 11m |
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旧鎌倉街道が、大栗川を渡る橋が『大栗橋』だ。
1973年10月竣工なので、ちょうど満38歳である。
二車線あるが、ここは比較的交通量が多く、大型の路線バスも走ることから、歩行者は危なくて渡れない・・・と思いきや、向かって右手に歩行者専用の橋が現在は併設されている。
この橋の北詰に『観音名号塔』が在るということで探したら、なんとこんなところにあった。
何処にあるかお分かりだろうか?
左手に停まっている自転車のすぐ右側に白っぽく見えるものがそれだ
正面は『南無観世音菩薩』と彫られていて、向かって右側には、『右 ふちう』、『左 八おうじ』と印されている。
作られたのは、1783年(天明3年)で、地元の旧家の当主相沢了栄が建立したもので、道しるべの役割も果たしていたという。
次の写真は、平仮名で『ふちう』と記されているのが読めるだろう。
同じく次の写真からは『八おうじ』と読み取ることが出来る。
橋を渡って少し歩いた左側の駐車場の奥の一段低くなったところに、石の祠が祭られている。
1815年(文化12年)に建立された石祠で、地元では『金山様』と呼ばれている。
ただ、残念ながら現在は祠の中には何も無く、無管理状態のように見受けられる。
この石祠は、200年近く移ろいゆく街を見守っていたのだろうか。
1815年というと、世界ではナポレオン率いるフランス軍がワーテルローの戦いに敗れて、百日天下が終わった頃のことである。
・・・続く
とてもごつそうな欄干ですね。
これなら川に落ちる車がなさそうです。
by schnitzer (2011-10-25 00:08)
こんばんは。
地元の橋でも、刻まれている竣工の年月日を見ると、
結構昔に作られたことが多いのですよね。
満38歳・・・私の数個先輩です。。
by perseus (2011-10-25 01:07)
おはようございます
いろいろな歴史をみてきたのでしょうね。
by すー (2011-10-25 04:35)
おはようございます。
この辺はお客様が多いのでよく出没してます。
by BPノスタルジックカーショー (2011-10-25 04:57)
おはようございます。
なかなか見かけないタイプの橋ですね。
by YUTAじい (2011-10-25 05:44)
当時の道しるべの役割もしてたなんて、
残ってるのが凄いですね。
by pandan (2011-10-25 06:36)
花が手向けられて信仰の深さを感じます。
by gen (2011-10-25 09:11)
おはようございます!
ここに観音名号塔があるとは知りませんでした!
度々市役所方向からチャリで走ってきます。
祠が寂しげですね。
by レイリー (2011-10-25 10:10)
こんばんは
歴史を感じますね♪
日本史 世界史を勉強しないといけませんね。。。
by hirosan (2011-10-25 21:08)