東京の坂と橋 番外編84 横須賀隧道探検 11 戦没船員の碑 [東京の坂と橋]
No | 日 付 | リ ン ク | 備 考 |
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1 | 2011/03/14 | 東京の坂と橋 四方山話31 横須賀隧道探検1 | プロローグ |
2 | 2011/03/28 | 東京の坂と橋 番外編 75 横須賀隧道探検2 | 走水隧道1・2 |
3 | 2011/04/13 | 東京の坂と橋 番外編 76 横須賀隧道探検3 | 走水水源 |
4 | 2011/04/14 | 東京の坂と橋 番外編 77 横須賀隧道探検4 | 伊勢町 |
5 | 2011/04/18 | 東京の坂と橋 番外編 78 横須賀隧道探検5 | 観音崎まで |
6 | 2011/04/19 | 東京の坂と橋 番外編 79 横須賀隧道探検6 | 観音崎 |
7 | 2011/04/20 | 東京の坂と橋 番外編 80 横須賀隧道探検7 | 素掘りの隧道 |
8 | 2011/04/21 | 東京の坂と橋 番外編 81 横須賀隧道探検8 | 観音崎隧道 |
9 | 2011/04/22 | 東京の坂と橋 番外編 82 横須賀隧道探検9 | 第二砲台隧道 |
10 | 2011/04/24 | 東京の坂と橋 番外編 83 横須賀隧道探検10 | 第四砲台隧道 |
?第四砲台を出て、次の隧道へと向かう途中に、『戦没船員の碑』がある。
下の案内図は、前回も出したとおり、赤い点線が第四砲台へと続く隧道で、その左手に戦没船員の碑がある。
戦没船員の碑は、1969年(昭和44年)に海運業界、水産業会の関係者が、海底に眠る戦没船員の御霊を慰めるとともに、二度と戦火の無い、平和な海を祈念するために、財団法人戦没船員の碑建立会が設立された。
1971年(昭和46年)に、日本国中から集められた浄財により、浦賀水道から広く太平洋を望むこの地に、建立された。
安らかにねむれ わが友よ 波静かなれ とこしえに
昭和天皇と、皇后陛下が追悼式にご臨席を賜った際の御製碑、御歌碑が建立されている。
天皇陛下御製
戦日に逝きし船人を 悼む碑の彼方に見ゆる 海平らけし
皇后陛下御歌
かく濡れて遺族らと祈る 更にさらにひたぬれて 君ら逝き給いしか
ここには、練習船進徳丸の錨が保存されている。
進徳丸は、1923年(大正13年)に神戸高等商船学校の練習船として建造された機帆船だ。
戦時中は、マストを外され、徴用船として物資の輸送に携わってきましたが、なんとか太平洋戦争を生き抜き、戦後はまた練習船として復活している。
1967年(昭和42年)に引退し、神戸商船大学の構内に保管されていたが、阪神淡路大震災を契機に、維持していくのが困難となり、解体された。
戦火の無い平和な海、そして地球は、人が誰しも祈る共通の願いだ。
こんばんは。
神戸商船大学(今は神戸大学ですが)は思いっきり
同じ県内ですが、このような歴史があったのですね!?
by perseus (2011-04-26 00:58)
おはようございます。
戦争の歴史は簡単には消えていませんね。
by BPノスタルジックカーショー (2011-04-26 07:02)
2度と同じ過ちは繰り返してはいけないですよね
by くまら (2011-04-26 08:37)
おはようございます
平和が一番ですよね
地球から戦争がなくなってほしいです
by はくちゃん (2011-04-26 09:57)
観音崎の奥深さに、新たな発見ばかりです。歩いてみたい場所です。
by ドラもん (2011-04-26 09:58)
こんばんは、
さりげなく海沿いのドライブで通り過ぎてしまいそうなポイントも、その舞台裏にいろんな歴史が隠れているんですね。
by Azumino_Kaku (2011-04-26 22:39)
”海行かば 水漬く屍…”
という歌のように、多くの人々が亡くなりました。
戦争はもう二度と起こして欲しくないですね。
by Loby (2011-04-26 23:56)
進徳丸は解体されてしまったんですか。。残念。
なかなか維持も大変なのは事実でしょうが、
歴史の重みも考えると保存してほしいものですね。
by さといも野郎 (2011-04-28 22:42)