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東京の坂と橋 番外編33 東京駅8 [東京の坂と橋]

Construction of the Central Terminal(Tokyo Station)
《中央停車場(東京駅)の建設》
東京駅基本構想は前回の「東京駅7 バルツァーの描いた基本プラン」でお伝えした。
 ⇒前回の東京駅7はこちらをご覧ください。

東京駅ができる以前の東京の玄関は、西の玄関口である新橋駅と、北の玄関口である上野駅の二つの駅があった。
この二つの駅を結んだ中央に、日本の顔とも言うべき中央停車場を作る事となった経緯は、前回以前に述べてきた。

今日は、いよいよ中央停車場の建設に至る部分についてお話をしたい。
1896年(明治29年)の第9回帝国議会で、中央停車場を建設することを可決している。
その後、1903年(明治36年)に辰野金吾に設計を依頼した。

辰野金吾.jpg辰野金吾は、明治、大正期を代表する建築家で、1854年(嘉永7年)肥前国(現在の佐賀県)唐津藩の下級藩士、姫松蔵右衛門 オマシの次男として生まれた。
1873年(明治6年)工部省工学寮(のち工部大学校、現在の東大工学部)に第一回生として入学。
当初造船を学んでいたが、2年終了後造船から造家(建築)に転じた。

辰野金吾は、英国留学後帝国大学工科大学教授、学長を歴任した。
代表建築としては、東京駅のほか、日銀本店、日銀大阪支店、第一銀行京都支店(現みずほ銀行京都支店)、第一銀行神戸支店などがある。

当初の中央停車場の設計は、小規模なものであったが、初代鉄道院総裁である後藤新平の意向で設計変更を重ね、予算も当初予算の7倍にまで膨れ上がりつつも、1908年(明治41年)?に着工される。

6年半をかけた工事も1914年(大正3年)の12月に全長334.5mの巨大な中央停車場が完成した。
開業と同時に、中央停車場は『東京駅』と名づけられ、現在に至る。

DVC00070.JPG

辰野の構想は、全ての機能を一つの建物に収めることだった。
皇室専用の正面玄関を中心に、両端に降車口と乗車口を配置し更に、鉄道局とホテルを取り込み、横長の駅舎を設計した。

辰野が最後まで迷っていたのが、駅舎に使用する建材であった。
当時最先端の工法は、鉄筋コンクリートだったが、辰野が出した答えは、骨組みに鉄骨を使い躯体と外壁を煉瓦で統一するというものだった。

当時の丸の内一帯は、三菱が原と呼ばれた広大な荒地で、地盤が緩かった為に、1万5千本もの松の木を埋め込み地盤を固めたと言われている。
合計3500トンもの鉄骨を使い、建設に当たった職人の数は、延べ74万人、明治の日本が初めて経験する未曾有の大工事だった。

その陣頭指揮に当たった辰野は、職人を吟味し、現場に張り付ついた。
不具合が生じれば、幾度も設計図を引きなおし、自ら描いた駅舎のイメージを現実化していったのです。
建物の躯体に使用された煉瓦の数は、830万個、埼玉県深谷市に専用のレンガ工場が造られた。
外壁の化粧煉瓦は、凡そ93万個にものぼっている。

辰野が還暦を迎えた年に、日本最大の駅は完成した。
東京駅の正面には、「行幸通り」と呼ばれる広い道が伸びていて、その道の先は皇居だ。
東京駅の機能の一つは、皇室専用の駅だった。
そして、もう一つの機能が一般の民衆の為の駅であった。
この二つを両立させること、その難題に対する辰野金吾の答えが、両翼334.5mにも及んだ巨大な東京駅だった。

DVC00071.JPG

完成当時は、「さながら宮殿の如し」と呼ばれている。
東京駅の外装に使われた煉瓦は、工場や倉庫によく使われた建材だ。
ロンドンで建築を学んだ辰野にとってそれは、民衆の活力と息吹の象徴でもあった。
正面玄関は、花崗岩と漆喰が用いられているが、その白い色調は赤レンガと交じりあい見事なコントラストを形作っている。
皇室専用の駅だけでもいけない。
民衆の駅でもなければならない。
辰野金吾は、一つの理想を駅舎に求た。

辰野金吾は、建築家として3つの大きな夢があった。
すなわち、「建築家として生まれたからには、三つの建物を東京に建てたい。
一つは、中央銀行、一つは中央停車場、そしてもう一つは、国会議事堂。」

彼は、その夢を一つ一つ実現していった。
日本銀行本店を作り、東京駅をつくり、そして、国会議事堂の設計コンペの審査員として現在の国会議事堂の建設にかかわりつつも、その完成を待たずに、当時大流行した、スペイン風邪により他界した。
享年65歳。

彼は、工部省工学寮を首席で卒業したが、こんな言葉を残している。
「俺は頭が良くない。だから人が一する時は二倍、二する時は四倍必ず努力してきた」
そして、その結果を自らの力で、自らの夢を実現して、現代に生きる我々にもその姿を見せ付けている。

 

話は横道にそれるが、国会議事堂の設計は、一般公募という形をとったが、実際誰が設計したのかわかっていない。
日本近代史のミステリーの一つである。

以上は、JR東京駅丸の内口に掲出されている看板、テレビ東京「美の巨人 辰野金吾「東京駅駅舎」」などを参考にまとめた。

 

 


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me-co

今回もハートウォーミングな記事
心に染入ります・・・今度時間があったら、地下ではなく(汗)
地上の東京駅、現在復元工事中の東京駅を見てみたいと思います♪
by me-co (2009-08-05 01:12) 

BPノスタルジックカーショー

おはようございます。

これはお勉強になりました。
知らないことばかりでした。
by BPノスタルジックカーショー (2009-08-05 05:13) 

やまがたん

東京駅を作るにしても様々なドラマがあったのですね
ご訪問ありがとうございます☆
by やまがたん (2009-08-05 07:02) 

kskouzik

東京駅は鉄道の象徴ののように感じています。
改めて勉強になりました。いつも勉強及び
楽しませていただき感謝です。
by kskouzik (2009-08-05 07:58) 

駅員3

ブラザーボブかきもとさん、gardenwalkerさん、xml_xslさん、STEALTHさん、燕っ子さん、me-coさん、BPノスタルジックカーショーさん、父ちゃんさん、ガンバルおやじさん、小父蔵さん、いわもっちさん、takemoviesさん、やまがたんさん、c_yuhkiさん、kskouzikさん、おはようございます。
ご訪問と、niceありがとうございます。

⇒me-coさん
そうですね、工事中で囲いがしてあり、間近で見ることは出来ませんが、そこそこ見学することは出来ますし、その囲いにいろいろな写真が掲出されていて、見ていて楽しくなります。
出来上がるのが楽しみです。

⇒BPノスタルジックカーショーさん
ありがとうございます。私も色々学びました(^^)

⇒やまがたんさん
そうですね、やはりこれだけのものを作るのですから、物語になるくらい・・・んんん、これを題材に小説書こうかな(^^)

⇒kskouzikさん
ありがとうございます。
そうですね、東京駅の赤レンガの駅舎は日本の鉄道の名実ともに原点ですね。
by 駅員3 (2009-08-05 08:12) 

くまら

この駅舎が、くだらん官僚の発想の為に壊されないことを祈ります^^
by くまら (2009-08-05 08:27) 

はくちゃん

おはようございます
あの煉瓦作りの建物良いですよね
以前あそこにあった美術館に行ったことがあります
65歳とは。。。まだ若かったんですね

by はくちゃん (2009-08-05 08:38) 

CASCO事業部 J

今回も、大変興味深い記事でした♪
次回も楽しみにしています!
by CASCO事業部 J (2009-08-05 09:30) 

さなゆき

「俺は頭が良くない。だから人が一する時は二倍、二する時は四倍必ず努力してきた」

この言葉、好きです(^_^
by さなゆき (2009-08-05 10:51) 

Ranger

今見ても素晴しい建築です
昔の建物は、今の建築のコストからするとはるかに数倍数十倍のコストと手間がかかってますよね
建築当初の建物を実際に見てみたかったなぁ^^;
by Ranger (2009-08-05 11:53) 

mwainfo

大変参考になりました。
by mwainfo (2009-08-05 12:04) 

abika

東京駅にもいろいろあったんですね^^
参考になりました。
by abika (2009-08-05 14:18) 

kotobuki1946

勉強になりました。
先人は私より何倍も努力しているんですね。
頑張りましょう。
by kotobuki1946 (2009-08-05 16:45) 

qoo2qoo

東京駅が出来るまでの歴史、勉強になりました。
※シャトレーゼ・・・残念ですね><;
by qoo2qoo (2009-08-05 21:16) 

ハイマン

人の2倍も4倍もがんばる
何事にも必要ですが
中々出来ないのが。。。
by ハイマン (2009-08-05 21:58) 

空兵ーS

歴史を振り返りながら
新たし東京駅を待つのも
楽しみですね。
東京駅への視線が変わりますね。
by 空兵ーS (2009-08-05 22:58) 

ナカムラ

辰野のもうひとつの功績は、屋根にスレートを使ったことだと思っています。辰野じゃないのかもしれませんが、個人的に内装に使われているラリックのガラス製品はひとつほしくなりますね・・。本当にくれないかなあ・・。
by ナカムラ (2009-08-05 23:49) 

駅員3

くまらさん、はくちゃんさん、Krauseさん、釣られクマさん、CASCO事業部さん、みかんママさん、お茶屋さん、空楽さん、さなゆきさん、Rangerさん、mwainfoさん、ほりけんさん、abikaさん、enosanさん、genさん、kotobuki1946さん、qoo2qooさん、リンさん、ハイマンさん、mydreamtodayさん、空兵ーSさん、単騎さん、ナカムラさん、kazukazuさん、yukitanさん、さといも野郎さん、おはようございます。

⇒くまらさん
本当ですね。まずは、創建当時の復元が進行していますから、一安心ですね。

⇒はくちゃんさん
そうですね、なんか、明治時代からあったような気がしますね。

⇒CASCOO事業部さん
ありがとうございます。また遊びに来てください。

⇒さなゆきさん
そうですね、けだし名言だと思います。

⇒Rangerさん
そうですね、昔の建物は何であんなに味があるんだろうとずっと考えていましたが、

⇒Rangerさんのおっしゃるとおりお金をかけてでも作る「こだわり」があったのでしょうね。

⇒mwainfoさん
いつもご訪問と、nice、コメントありがとうございます。

⇒abikaさん
そうですね、常に歴史の影には色々な物語が潜んでいますね。

⇒kotobuki1946さん
そうですね、お互い頑張りましょう(^_-)/

⇒qoo2qooさん
ありがとうございます。
どこかに出かけた折に見かけたら、入ってみます(^_-)

⇒ハイマンさん
そうですね、辰野さんもそれが出来たから、このような見事な仕事を残されたのでしょうね。

⇒空兵-Sさん
はい、どんな物事もその歴史や背景を知ると、新たに見方が変わりますね。

⇒ナカムラさん
「内装に使われているラリックのガラス製品」・・・知りませんでした。
ちょっと調べてみます(^^)
by 駅員3 (2009-08-06 08:48) 

emu310

とっても面白そうです。
あとでじっくり読み直させてください。
by emu310 (2009-08-07 07:56) 

アヨアン・イゴカー

東京駅の開設について、辰野の思いなど、大変興味深く拝見しました。
>「俺は頭が良くない。だから人が一する時は二倍、二する時は四倍必ず努力してきた」
主席で卒業した人が、このように語る、その人間性。きっと素晴らしい人だったのでしょうね。
by アヨアン・イゴカー (2009-08-07 23:04) 

駅員3

emu310さん、sakさん、きゅんぱちさん、アヨアン・イゴカーさん、タイドマンさん、junさん、おはようございます。

⇒emu310さん
ありがとうございます。
東京駅のシリーズは、今回で8回目ですので、よろしければ過去のものもご覧ください。

⇒アヨアン・イゴカーさん
そうですね。辰野先生の写真からもお人柄が偲ばれて、人望も厚い方だったんでしょうね。
by 駅員3 (2009-08-09 08:40) 

kiyotime

駅舎も凄いですが、現在の東京駅の構造は地下の京葉線から
高架の中央線まで、凄い事になってますね、、、、

by kiyotime (2009-08-12 23:48) 

駅員3

kiyotimeさん、おはようございます。ご訪問と、niceありがとうございます。
ほんとですね、京葉線の地下駅は、もうほとんど有楽町駅の下近くにありますよね。
まるで迷路のようです。
by 駅員3 (2009-08-13 08:28) 

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