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東京の坂と橋66・・・清戸坂 [東京の坂と橋]

名前ふりがな別名所在地北緯東経全長高低差
清戸坂きよとざか清土坂文京区目白台2丁目北緯35度43分05秒東経139度43分19秒674m8m
清戸坂.jpg

清戸坂断面図.jpg

江戸清戸坂.jpg

今日は、不忍通りの終点にある『清戸坂』を紹介しよう。
不忍通りを上野方面からやってきて、以前ご紹介した猫又坂を下り、白鷺坂を登ってさらに、富士見坂を下ると、護国寺に至る。
清戸坂は、護国寺を通り過ぎると、すぐに登りが始まり、目白通りに突き当たって終わる約670mの坂道だ。
最初の地図で赤い点線が『清戸坂』である。
そのほか名前の付いた坂は青い点線で示している。

次の写真は、護国寺西交差点にある陸橋から坂上を望んだところである。

DVC00135.JPG

不忍通りは、都道437号線秋葉原雑司ケ谷線の一部で、千代田区秋葉原にある万世橋交差点を起点に、上野公園前交差点付近までを『中央通り』、上野公園交差点付近から、文京区目白台2丁目で、目白通りに突き当たるまでの道である。
1922年(大正11年)に完成しているが、江戸時代からある道筋を取り込んで完成している。
この清戸坂も江戸時代からあった坂だ。

ちょっとわき道にそれるが、起点、終点が特別区で完結する都道は、都知事が指定する特例都道だ。
これに対して、一般都道は、都道府県議会の議決により指定されるのだが、実質は何も変わらない。

いままで、この不忍通りの坂、不忍通りに下る坂をいくつかご紹介してきた。
不忍通りの坂としては、『猫又坂』、『白鷺坂』につづいて三箇所目である。
 ⇒猫又坂、白鷺坂はこちらをごらんください。

さて、この坂で64ヶ所目となるのだが、64ヶ所目にして『初めて』という点が一つある。
実は、この坂には東京都教育委員会が設置した坂の標識があるのである。
いままで取り上げてきた坂の標識は、「区」もしくは私設のものだった。
「都」の設置した標識は初めてである。

DVC00440.JPG

設置は1983年(昭和58年)3月と記されているので、26年経過していることになる。
標識の表面は、黒く劣化し文字はほとんど読めない。
車道側にまわると、坂の名前はかろうじて読み取れる。

DVC00442.JPG

表も、裏もやや年季が入っているのに、「味が出ている」というよりは、「荒れている」といったほうがふさわしい。

もちろん、文化財や地名、旧町名などを大事にして、たくさんの標識を立てている文京区もこの坂に標識を設置している。

DVC00143.JPG

DVC00144.JPG

文京区の設置は、1987年(昭和62年3月)なので、22年経過しているがこの綺麗さである。
東京都の設置したものとのこの違いは、「何なんだろう。」と思わざるを得ない。

この坂道は約670mの長さがあるが、二つの標識ともに、上野方面からやってきて日本女子大前のわずか数十メートル隔てて立っている。

東京都の設置した標識には、次の通り由来が記されている。
目白台上の目白通りは、江戸清戸道といった。中清戸(現清瀬市内)に御鷹場御殿があり、将軍が鷹狩に通う道が造られた。これが清戸道である。
この清戸道から護国寺に下るわき道が清戸坂で、清戸道へ上る坂ということで坂名がつけられた。
坂道の北側に、雑司谷清土村があったので、清土坂とも呼ばれた。

文京区の設置した標識には、次の通り記されている。
延宝4年(1676年), 御三家 尾張徳川家の御鷹場が、中清戸(現清瀬市) につくられた。 将軍もしばしば出かけて鷹狩りを行った。 これが現在の目白通りである。
首都高速道路(5号線)護国寺出入口(護国寺側)から 目白通りに向っての広い道は、昔から“清戸道に登る坂”ということで『清戸坂』といわれた。
江戸時代, この坂の北側一帯は、雑司ヶ谷村の畑(現在の雑司ヶ谷墓地)で、坂の道に沿って雑司ヶ谷清土村百姓町があった。
明治10年代から坂の北側には牧場と牧舎が建ち、平田牧場と言った。 牛乳を売る小売店があり、人々が休憩した。 旗竿には、『官許の牛の乳』と假名と、ローマ字で書かれていたという。

『清戸坂』の名前の由来は、上記東京都、文京区の設置した標識に「清戸道に登る坂だから、清戸坂と名づけられた。」と説明されている。
しかし、ここで私は詰まってしまった。

東京都の設置した標識でも、文京区の設置した標識でも、「江戸時代に清瀬に御鷹場があり、江戸城から御鷹場に向かう道を『清戸道』といい、現在の『目白通り』のことだ。」と読める。
しかし、目白通りは、都心から西進していくと、練馬区の大泉で、突き当たって終わる。
清瀬までなど延びていないのである。
目白通りは、起点は九段下交差点から、関越自動車道の大泉インターチェンジを過ぎて、大泉学園町で突き当たって終わると思っていた。

しかし調べてみると、目白通りは、「都道8号千代田練馬田無線」という名前で、九段下から笹目通りとの交差点である『谷原交差点』までをさし、谷原交差点から富士街道と名前を変え、西武池袋線石神井公園駅北側を通過して、田無の青梅街道に至るまでの都道であることがわかった。

そこで、『清戸道』について調べてみた。
その道筋を現代の道に落とし込むと、

清戸na.jpg
江戸川橋から目白通りを西進し、豊島区南長崎近辺から千川通りに入る。
練馬駅前を過ぎると、再び目白通りに入り、谷原交差点を過ぎてから都道24号練馬所沢線を大泉学園駅方向へ進路を変える。
大泉学園駅前を通過して、西大泉の四面堂稲荷の前を通り、清瀬に至る。
したがって、『清戸道』は『目白通り』とは完全に一致しない。

・・・とまぁ最初に清戸坂を訪れたのが、3月半ばであるから、一月以上かかってこんなことを調べていてアップするのが遅くなった。

昔の御鷹場がどう変貌しているのか、清瀬を訪れてみた。
現代の清瀬駅前は、都心へのベッドタウンとして、大きく開けているが、少し駅から離れると、江戸時代に開かれた武蔵野の田園風景が色濃く残っている。
次の写真は西武池袋線清瀬駅北口駅前の写真だ。

DVC00130.JPG
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御鷹場は、上の地図の『中清戸』辺りにあったようだ。 
この地図は、駅前の交番の前に設置させているものである。

江戸時代草原だった武蔵野は、開拓され大きく変貌を遂げた。
東西に走る街道の両側に用水を走らせ、一軒の農家の敷地は、街道から短冊状に区切られて南北にのびている。
街道の両側は、クヌギやブナなど燃料となる落葉樹や竹などの二次雑木林で、その林を越えると、農家があり、さらにその先に細長く畑が広がっているのである。
清瀬には、そのような面影が数多く残っている。

平林寺.jpgここ清瀬は、埼玉県新座市に隣接していて、創建1375年(永和元年)創建の平林寺もすぐそばにある。
(岩槻に創建された後、1663年(寛文3年)川越藩主松平輝綱候がこの地に移転させている)
平林寺周辺の雑木林は、非常によく江戸時代の武蔵野の面影を残していることから、1967年(昭和42年)に天然記念物に指定されている。

 

さて、話しを『清戸坂』に戻すと、道の両側には歴史を感じさせる建物が建っている。

DVC00141.JPG
DVC00140.JPG

次の写真は、日本女子大の敷地の中にある『窪田空穂旧宅』である。

DVC00479.JPG

DVC00478.JPG

次の写真は、不忍通りが目白通りに突き当たった場所に立っている酒屋さんである。

DVC00148.JPG

よくコンビニなどにならずに残っているものである。


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コメント 11

Yuki

坂の標識って、以外に少ないんですね。
古い酒屋さん、ずっと残して欲しいですね。^^
by Yuki (2009-05-05 01:10) 

いわもっち

おはようございます。
この辺も風情がありますね。 (坂はキツイですけど。。)
私めの、東京駅の新幹線写真、ご共感いただき、ありがとうございます。
偶然の産物なんですけどね。。 (^^;
by いわもっち (2009-05-05 07:44) 

mwainfo

残したい、残さねばならない街の風景が、開発の美名のもとにどんどん失われて行きますね。
by mwainfo (2009-05-05 08:25) 

BPノスタルジックカーショー

おはようございます。

>よくコンビニなどにならずに残っているものである。

このままでいてほしいですね!!

by BPノスタルジックカーショー (2009-05-05 08:45) 

Ranger

面白いですねぇー
調べれば調べるほど、歴史は大事にしないと!と思いますよね
by Ranger (2009-05-05 13:28) 

たく

風情のある酒屋さんですね。
都内にこのようなお店があるとは・・・・・

by たく (2009-05-05 18:23) 

さといも野郎

角の酒屋さん、実にいい風情です!
by さといも野郎 (2009-05-05 23:09) 

くろうら

古い造りの酒屋さん、きちんと手入れされている様子ですね。
こう言った建物が残されていくといいんですが、「文化財に指定されると建て替えも出来ないし、莫大な営繕費がかかるので指定しないで欲しい」と嘆いていたお施主さんも過去に何人かいらっしゃいました。
痛し痒し、と言ったところでしょうか?
名家の旧跡ならまだしも、庶民には辛いものがありますね。
by くろうら (2009-05-06 07:54) 

駅員3

Yukiさん、ブラザーかきもとさん、xml_xslさん、タイドマンさん、単騎さん、takemoviesさん、いわもっちさん、mwainfoさん、BPノスタルジックヒーローさん、お茶屋さん、takeさん、空楽さん、Rangerさん、Cyoroshiさん、U3さん、kskouzikさん、da-kuraさん、たくさん、Znさん、schnitzerさん、やまがたんさん、サトイモ野郎さん、おはようございます。
ご訪問とniceありがとうございます。

⇒Yukiさん
ほんとこの酒屋さん、文化財級ですよね(^^)

⇒いわもっちさん
坂道は、「登るも楽し、下るも楽し」ですね。
あの新幹線の写真は素晴らしいです(^^)

⇒mwainfoさん
そうですね、「開発」の意味を皆で考えて取り組んでいくことが大切ですね。
そういう意味では、結果はうまく言っていませんが、「JR国立駅駅舎の保存」運動はいい例だと思います。

⇒BPノスタルジックヒーローさん
ほんとにそう思います。

⇒Rangerさん
歴史は、単なる「過去の遺産」ではなく、「過去の歴史を今に生かしていくもの、そしてみらいに語り継がれていくもの、」て゜すよね。

⇒たくさん
都内には結構こういう古いものがたくさん残っています。

⇒さといも野郎さん
この酒屋さんの前を通ったときに、子供の頃よく見た仕事帰りの職人さんやサラリーマンが、酒屋さんの店頭で、コップ酒とつまみを買って飲んでいく姿を思い出しました。

⇒くろうらさん
そうですね、そこは行政も一緒に取り組まなければ生らない問題だと思います。
確かに、一個人がそういった「歴史」を守っていくことは難しいですよね。

by 駅員3 (2009-05-06 10:00) 

kiyotime

うんうん、護国寺の、、確かにここ坂ですね、
(クルマでしか通った事が無い、、)
コンビニに魂を売らずに、立派な酒屋さんです。
by kiyotime (2009-05-07 03:28) 

駅員3

kiyotimeさん、夢空さん、八丁堀さん、junさん、空兵-Sさん、おはようございます。

⇒kiyotimeさん
なかなか車乗っていると、坂に気がつかずに走っていますよね。
by 駅員3 (2009-05-14 07:52) 

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