東京の坂と橋11・・・おばけ階段 [東京の坂と橋]
名前 | ふりがな | 別名 | 在地 | 北緯 | 東経 | 全長 | 高低差 |
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おばけ階段 | おばけかいだん | - | 文京区根津1丁目 | 北緯35度43分04秒 | 東経139度45分44秒 | 15m | 8m |
今日はおばけ階段について取り上げてみたい。
まず上のデータで、『-』表記のものは、別名を除いては今回調べられなかった項目である。
実は、パソコンが壊れてしまい、いつもは『カシミール』か『グーグルアース』を利用して経緯度や標高データを取っているのであるが、座念ながら、割愛させていただいた。
復旧したら修正させていただく予定である。
また、いつもなら古地図も入れたい所であるが、古地図もグーグルアースからアップさせていただいていたので、断念せざるを得ない。
また、以前やっていたヤフーの古地図情報は終了してしまっている。
さて、知人からここおばけ階段の情報を仕入れた時、「ん、『階段』?『坂』じゃないのか!」と自問自答してしまった。
『階段』とは、国語辞典で引くと
「建物の上下の階など、高さの異なる場所をつなぐ、段々のある通路。はしごだん。」
とある。
『坂』を同じく国語辞典で引くと
「一方が高く他方が低く傾斜している道。」
とある。道に階段が作られていれば、それは高さの違うところを結ぶ道であり、『広義の坂道』と言えるだろうと勝手に決め付けて現地に急いだ。
本当は理屈よりも「おばけ階段」という名称にいたく興味を抱いたからである。
場所は根津神社に近い閑静な住宅街の中にある。
おばけ階段はこの先の突き当たりから右に登っている。
この写真は下から見上げたところである。
階段を登りきって数メートル行くと道は左に折れる。
逆にその折れたほうからやってくると、視界が開けてその先におばけ階段が見えてくる。
そして上から見下ろすとこんな感じである。
さらに降りていくと・・・
おばけ階段がいつから存在していたのか。
古地図も調べられず、いつごろからその通り名で呼ばれてきたのか判らなかった。
私の愛読書に、矢田挿雲(矢田早雲と記す人もいるが、『挿雲』が正しいようだ)が書いた『江戸から東京へ』という全9巻の本がある。
これは明治後期から大正時代の東京の様子を朝日新聞に連載したものが刊行されたものである。
いまでは、関東大震災前の東京の様子を知る貴重な資料であるが、この本にも「お化け榎木」、「お化け灯篭」等の記載はあるが、『お化け階段』の記載は無い。
関東大震災当時あったとすれば、何らかの損害を受けていたはずであり、この階段は昭和初期のものであろうか。
・・・とすれば、『おばけ階段』と呼ばれるようになったのも昭和の話なのだろう。
なぜ『おばけ階段』と呼ばれるようになったのか!
実は、登る時と降りる時に数えた階段の段数が違うということから『おばけ階段』と名づけられた。
下から登る時は、40段、上から降りる時は39段あるというのである。
四十というのは『死十』と読め、三十九は『三重苦』の掛詞になる。
登る時は十回死ぬほどの思いをして、降りる時は三重の苦しみを味わうといったところであろろうか。
現在は下から登っていくと、右手は更地になっていて、根津神社のある北方向は視界が開けて見晴らしもよく、初春の日差しもさわやかである。
右側に建物のあった以前は、昼なお薄暗く陰鬱な雰囲気をかもし出していたことが伺える。
都市徘徊ブログに十数年前のおばけ階段の写真が掲載されていた。
現代の風景を以前の風景と比較しながら紹介されて、なかなか秀逸な作品である。
下から見上げた写真をご覧いただくと、下から坂の途中まで左側に新しい階段が併設されている。
そして、その左側は新しいマンションが建っていた。
・・・ということは、この坂・・・いや階段は建築基準法に定められる42条2項道路ということになる。
つまり、法律的に認められた『道』なのだ。
建築基準法では道路幅が4m無いと『道』としては認められない。
しかし法律施行以前に存在した道を法律上の『道』として認めている二項道路、三項道路というものが存在する。
そして、二項道路に隣接する建物を再築するときは、道路の中心線から2mになるように下がって(セットバック)建物を建てなければならない。
つまり、両側の家がどんどんたて変わっていくと、将来は幅4mの道になるわけだ。
この左側にあるマンションを建築するときに将来道幅4mになるように、道の中心線から2mバックしたところまで新しい階段を設置したのだろう。
早速二往復階段を登り降りしたのだが、いずれも39段しか数えられなかった。
う~ん、なぜだろう!
謎が解明できないまま、『単なる都市伝説』と片付けていいものか・・・とあきらめて帰ろうとう階段をおりきった辺りで「うらめしがお」で階段を見上げて、ふと足元を見ると、なんと最初の一段目がほとんど段差がない(最初の階段写真に注目いただきたい)。
このほとんど段差がない『一段目』を数え間違える原因となっていたと考えられないだろうか。
事実、私は登りも下りも数えていなかった。
しかし、階段の下の部分は新しいアスファルト舗装であり、いつから一段目の段差がないのかわからないから、単なるこじつけだろう。
でも、自分なりにはそれで納得させて帰路についた。
途中木造の洒落た教会をみつけた。
昭和レトロ・・・いやいや大正浪漫を感じさせる建物である。
さすが文京区、ちょっと歩く間に次から次へと名前の付いた坂が現れてくる。
この坂道でいくつの人生が語られたのか「神のみぞ知る」である。
なるほど、おばけが出そうな雰囲気だから、じゃなかったんですね。
とはいえ、リンク先で拝見しましたが、
昔は、夜はおばけが出てきそうな感じでしたね。
by さといも浪漫 (2008-03-10 22:44)
さといも浪漫さんこんばんは
ご訪問とこめんとありがとうございます。
あの昔の写真を見るといかにも寄る一人では歩きたくない所ですよね(^^
by kotarobs (2008-03-10 23:35)
文京区って坂と階段が多いですよね。
小石川の茗台中横階段もなかなかハードですよ。
地下鉄のくせに地上にいる丸の内線とか見えます。
by kiyotime (2008-03-11 00:06)
kiyotimeさん、disneyworldさんこんばんは
ご訪問ありがとうございます。
文京区は23区の中で一番坂の多い区です。
全部走破するのはいつになることやら・・・(^^
by kotarobs (2008-03-11 00:25)