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東京の坂と橋2・・・幽霊坂 千代田区富士見 [東京の坂と橋]

名前ふりがな別名所在地北緯東経高低差
幽霊坂ゆうれいざか勇励坂千代田区富士見2丁目北緯35度41分東経139度44分4m

今回も前回と同じ千代田区にある幽霊坂を取り上げてみた。

場所は、JR飯田橋駅西口を出て九段方向に数分歩いた、富士見2丁目にある。
江戸切絵図の「現在位置」とあるのが、JR飯田橋駅西口付近である。
現代の地図と、江戸時代の地図では、角度がちょっと違ってしまったが、江戸時代の道筋が、現代に生きていることがお分かりだろう。

「富士見」という名前は、当たり前のことであるが富士山が見えたからであ。
地形を見てみると、JR飯田橋駅西口前(標高14m)から南西方向に向かい富士見、靖国神社(本殿付近25m)、麹町(上智大学入り口付近30m)と緩やかな上りとなっている。
明治5年(1872年)に、九段坂を上りきった辺りからの富士山の眺めがとても綺麗だったので、靖国神社周辺から牛込橋(JR飯田橋駅西口)までを「富士見町」と名づけられ、昭和41年(1966年)の住居表示実施で、今の「富士見」となったのである。

さっそくカシミールで、ここ幽霊坂の頂点(標高18m)から富士山が見えるかやってみると・・・結果は以下の通り、残念ながらぎりぎり見えない。

江戸時代は武家屋敷が立ち並ぶ地域であることは、江戸切絵図を見ていただければお分かりだろう。
江戸時代の武家地には正式な地名はなく、「土手四番町」、「裏四番町通」などの呼称がついていただけだ。その名残で、JR四ッ谷駅東側には、「二番町」「四番町」などの地名が現代にも生き残っている。

さて、JR飯田橋駅を出て、九段のほうに向かう道はそんなに広くはない。両側は4~6階建ての店舗・事務所や住居がたちならぶ。警察病院を過ぎて二つ目の角から西に伸びているのが幽霊坂である。

この坂の別名は「勇励坂」であるが、実は、「幽霊坂」ではなんともイメージが悪く地元住民らが「勇励坂」と当て字で命名したものだが、残念ながらほとんど使われていない。
前回のときのような坂の「銘板」はみあたらず、名前の由来などの標識も立っていない。
この坂の両側は中小の武家屋敷が並ぶ通りだったので、人の行き来も少なく、両側の屋敷からは鬱蒼とした木が生えていたから「幽霊坂」となったのだろう。

一歩裏に入ると、瀟洒な住宅が並ぶ落ち着いた雰囲気の住宅街である。

付近を散策してみると、こんもりとした緑を見つけ、早速行ってみた。

「東京のお伊勢様」として親しまれる東京大神宮である。
その歴史は意外と新しく、明治5年までさかのぼることが出来る。
当時日比谷に開設された、神宮司庁東京出張所(伊勢神宮の事務機関)がはじまりで、
その他の拝殿を併合して明治13年には有楽町の大隈重信邸跡に移る。
その後大正12年の関東大震災で拝殿を焼失し、昭和3年に現在地に再建・遷座して現代に至るのである。
残念ながら江戸時代の庶民はやはりお伊勢様まで行かなければならなかったのである。

さて今回も橋が一つ登場した。「牛込橋」である。

江戸城から牛込への出口に当たる牛込御門(牛込見附)の一部をなすもので、寛永13年(1636年)に外堀が掘られたときに作られたのが最初である。
この写真の橋は平成8年(1990年)に作られた。

次回は・・・どうしよう?
やはり幽霊坂をとりあげてみようかなぁ(^-^)


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kiyotime

なるほど。
地元住民にしてみれば幽霊坂というのも
なかなか微妙ですものね。
幽霊坂に住んでます、なんて言われたら
思わず足を見てしまいそう。
by kiyotime (2008-01-20 00:05) 

駅員3

kiyotimeさんおはようございます。
nicesとコメントありがとうございました。
他にも名前を変えた坂がいくつか合ったようです。
たとえば、明治時代の文部大臣「森有礼」の住んでいた屋敷のそばの「幽霊坂」はもうおわかりですね、「有礼坂」とされたようです。
そのうちご紹介しますネ(^_-)
by 駅員3 (2008-01-20 08:14) 

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