東京の坂と橋 四方山話45 道路の幅員 [東京の坂と橋]
今日も『松電プロジェクト』の話を書こうと思ったが、帰宅するのが遅くなり、まとめる時間も無いことから、最近執筆したコラムの中から、改めて書き下ろしてみた。
皆さん道を歩いていると、色々な道幅の道路がある。
車の入れないような路地から、片側数車線もあるような大きい道路まで様々だ。
ところで、家を建てるためには、建築基準法上の『道路』に2m以上面しなければいけないことになっている。
現在の『道』を規定している法律は色々あるが、その代表的なものの『建築基準法』では、大きく分けると次の三つのものを『道路』として規定している。
1. 昔からある道で、幅員4m以上の道路
2. 昔からあるが、幅員が4m未満の道路
3. 近年設けられた幅員4m以上の道路で、認定を受けたもの
ここで出てくるキーワードの『4m』にご注目いただきたい。
基本的に『道路』とは4m以上(一部のところでは6m以上)ないと建築基準法上の道路とはいえないのである。
それでは、『何時』、『誰が』、『何故』4mという基準を設けたのだろうか。
建築基準法は1950年(昭和25年)に施行され、上記の基準が設けられたわけだが、それ以前はどうだったのか?
建築基準法の前身である『市街地建築物法』という法律が1919年(大正8年)に施行されている。
その市街地建築物法第26条では「本法ニ於イテ道路ト称スルハ幅員九尺(2.7m)以上ノモノヲ謂ウ」と規定された。
ところが1938年(昭和13年)に『幅員4m以上ヲ道路トスル』と改正された。
この法律改正にあたり、1937年(昭和12年)の帝国議会での政府答弁の中で、道路の幅員を4m以上とする理由が述べられている。
1. 自動車交通上
昭和に入って急速に自動車が増加し、交通事情が悪化してきたことによる
2. 火災延焼防止上
帝国大学、陸軍省、内務省が共同研究した結果、輻射熱による延焼を防ぐためには、家と家の間隔が最低5m必要である
(都市に対する焼夷弾空襲をも想定していたようでだ)
3. 採光通風等保健衛生上
歴史を紐解くと、江戸時代には『道路』と『通路』は区別して考えられていたようだ。
60間×60間を一つの街区として、3間(5.4m)~5間(9m)の道路が周辺に配され、その街区の中の路地(生活道路・通路)は6尺(1.8m)~9尺(2.7m)が基準となっていた。
その名残なのだろうか、明治に入ると各地の条例で「道路の最小幅員は6尺」と規定される。
その後1907年(明治40年)に警視庁長屋構造制限第3条1項二号で、「長屋ハ・・・幅九尺(2.7m)以上ノ道路ニ面セシムルコト」と規定され、だんだん幅員は広がっていく。
現在下町などの古くからの街に入ると、1.8m~2.7mの細い道路が多いのは、江戸時代の名残である。
こんばんは。
当時の文明の利器の最先端である車が4mを決定つけたのですか!?
今では4m無ければ往来が難しいかもしれないですね。
燃えるような紅葉がきれいです。。
by perseus (2011-12-06 00:58)
おはようございます。
『道路』と『通路』納得です、確かにとうなづきながらよまさせていただきました。
by すー (2011-12-06 04:44)
おはようございます。
また一つゲットしましたよ、お疲れさまでした。
by YUTAじい (2011-12-06 05:09)
建築基準法上ってちゃんと決められているのですね。
by pandan (2011-12-06 06:07)
お知らせいただきましてありがとうございます、駐車場は競馬場が開催して居りませんのでそこを利用する方法が有ります、府中本町からは3つ目くらいですね。
by 馬爺 (2011-12-06 09:02)
なるほど、またまた勉強になります。
by ドラもん (2011-12-06 09:57)
2項道路とか なんとか道路とかって
ありますよね、たしか・・・^^;
by お茶屋 (2011-12-06 10:28)
前記事、松電プロジェクトの日は天気に恵まれ本当によかったですね
立川に引っ越す前には、阿佐ヶ谷に住んでいましたが、
道幅が狭く入り組んでいましたので、私の留守中の大地震など子供たちが
心配で立川に移り住みました、35年前のことです!
by koh925 (2011-12-06 12:52)
やはり結構昔に制定されているのですね。
下町などでは通りから奥まった所では建築許可が下りないと聞きました。
先日も向島の鳩の街商店街を歩いたら奇妙な場所に空き地があったので消防法関連だろうなと思いました。
延焼を防ぐ定義も勉強になります。
こうなると密集して建てられる建売などはどうなのかなと考えてしまいますね。。。
イヤ、ウチも火を出したら回りが危険だ。。。(^^;
by レイリー (2011-12-06 12:55)
当地、戦災が無かったところなので
こんなとこ車が通るの?っていう所
多々あります
by くまら (2011-12-06 14:36)
こんばんは。
道路の幅については江戸時代は駕籠・馬・人が行き交えればいいという幅でしょうね。街道ガイドでもよく聞かれます。
これに比較するに古代官道は15メートルですから巨大です。
by 夏炉冬扇 (2011-12-06 18:41)
こんばんは。
よく、ここまで詳しくご存じですね。 さすがです!
専門家も私でも、江戸時代のことは・・・?
by Falcon (2011-12-06 19:13)
道路、都市構想というと、以前にたしか東京の(関東大震災後?)の
再建時に道幅が100メートルくらいの道路を縦横に建設する計画があったという記事を本で読んだことがあります。
惜しくも実現しなかったようですが、実現していれば違った東京になっていたかも、ですね。
by Loby (2011-12-06 19:47)
消防法でも、危険物一般取扱所における“保有空地”が、指定数量(危険物の種類によって異なりますが、ガソリン等の第1石油類で200L)の10倍未満で3m、指定数量が10倍を超えると5mとなっています。
この辺も関係しているのではないかと思います^^)
by 風来鶏 (2011-12-06 23:22)
都内の細い路地を歩いているとブロック塀をまだ見かけますね。
細い路地にブロック塀。昭和の風景ですが、ここで大きな災害が発生したら…と思ってしまいます。
新たに整備された街区では、おっしゃるように4m巾の道路が整然と敷設されていますね。どちらが味わいがあるかと言えば、前者なのですが。
by orange (2011-12-06 23:31)
おはようございます。
しっかり市街地建築物法を勉強させていただきました!
今は分かったような気分でいます・・・直ぐに忘れるのがたまに傷なのですが(笑)
by あら!みてたのね (2011-12-07 11:02)
道路、都市構想というと、以前にたしか東京の(関東大震災後?)の
再建時に道幅が100メートルくらいの道路を縦横に建設する計画があったという記事を本で読んだことがあります。
by モンクレール 帽子 (2011-12-26 17:59)