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東京の坂と橋12,13・・・夏目坂 [東京の坂と橋]

名前ふりがな別名所在地北緯東経全長高低差
夏目坂なつめざか新宿区喜久井町北緯35度42分18秒東経139度43分14秒180m4m
下戸塚坂しもとつかざか新宿区戸山町北緯35度42分05秒東経139度43分11秒170m10m


ここのところパソコンの故障からすっかり坂の話と遠ざかっていた。
復活の第一弾は新宿区の坂についてアップしたい。
千代田区の『幽霊坂』からはじまって、港区、文京区の坂を取り上げてきた。
『面影橋』では新宿区に足を踏み入れたが、坂では初めての新宿区である。

今回二つの坂を取り上げたのは、つながっていたからではない。
たまたま夏目坂を取材に行った帰りに裏道を歩いていたら、発見したのが『下戸塚坂』である。

元来表通りよりも、人の生活感あふれる裏通りや路地を歩くのが好きで、夏目坂を取材し終わってぶらぶらと裏路地を歩いていると、見つけた坂である。
「こんな裏路地にある坂にも名前があれば、楽しいのになぁ・・・」と思いながら歩いていると、なんと坂の名前を記した標柱が立っているではないか!
早速いろいろと調べてみたが、ネタが見つからなかったので、『夏目坂』と一緒にアップすることにした次第である。
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《夏目坂》
夏目坂は、早稲田通り早稲田駅前交差点から、南に来迎寺前までの全長180mの坂で、標高差は4mである。(地図の赤線)
道は来迎寺を過ぎてさらに南に下った大久保通りの若松町交差点までを『夏目坂通り』と名づけられ、全長660m、標高差20mののぼりが続く。
「夏目坂通り」の写真は矢印の向きでお分かりだろうか?大久保通りから入ったすぐにある看板である。
なぜ坂の途中の来迎寺までを『夏目坂』というのかは定かではない。
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来迎寺から早稲田通りを見下ろしたところ。
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早稲田通りの早稲田駅前交差点から来迎寺方向を見上げたところ。
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さて、『夏目』と聞いて『夏目雅子』とくるのは同年輩の諸氏だろう。
資生堂のキャンペーンガールから女優に転進した清潔感あふれる方であった。
NTVでドラマ化された西遊記の玄奘三蔵役を堺正明扮する孫悟空と好演したのは、誰でもご存知だろう。

もう少し年上、あるいは年下の方々には『夏目』とくれば、『夏目漱石』ではないだろうか。
夏目漱石の『坊ちゃん』は知る人ぞ知る名作であるが、漱石が新宿区出身であったこと、そして漱石の終焉の地が新宿区であったことを知っている方は、かなりのファンではないだろうか。
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blogの題に「江戸情緒をめぐる・・・」とあるが、ここ夏目坂と名づけられたのは、明治時代である。
夏目家は、江戸時代から続いた馬場下(新宿区馬場下町・・・東京メトロ早稲田駅界隈)の名主の家系で、漱石の父である夏目直克が『夏目坂』と呼んだことにはじまる。
地名の喜久井町も、明治の時代に新市政の実施に当たり夏目家家紋の『菊』にちなんで名づけられたとも言われている。

本棚から薄く埃が積もって箱が黄色く変色した漱石全集を数十年ぶりで取り出してみた。
随筆『硝子戸の中』を紐解くとその二十三の中に次のようなくだりがある。

この町は江戸と云った昔には、多分存在していなかったものらしい。江戸が東京に改まった時か、それともずっと後(のち)になってからか、年代はたしかに分らないが、何でも私の父が拵(こしら)えたものに相違ないのである。
 私の家の定紋(じょうもん)が井桁(いげた)に菊なので、それにちなんだ菊に井戸を使って、喜久井町としたという話は、父自身の口から聴いたのか、または他のものから教()わったのか、何しろ今でもまだ私の耳に残っている。父は名主(なぬし)がなくなってから、一時区長という役を勤めていたので、あるいはそんな自由も利(き)いたかも知れないが、それを誇(ほこり)にした彼の虚栄心を、今になって考えて見ると、厭(いや)な心持は疾(と)くに消え去って、ただ微笑したくなるだけである。
 父はまだその上に自宅の前から南へ行く時に是非共登らなければならない長い坂に、自分の姓の夏目という名をつけた。不幸にしてこれは喜久井町ほど有名にならずに、ただの坂として残っている。しかしこの間、或人が来て、地図でこの辺の名前を調べたら、夏目坂というのがあったと云って話したから、ことによると父の付けた名が今でも役に立っているのかも知れない。

現代の喜久井町界隈は、都心に近い住宅街で、地図を見るとお寺さんが多いことにも気づくことだろう。
漱石の生家は、早稲田通りから夏目坂通りに入ったすぐの左手にあった。
今は、ビルの前に石碑が立っているだけである。
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また、漱石終焉の地は、生家から500mほど東に行った早稲田通りと外苑東通りの弁天町交差点から少し裏に入った辺りにあった。
現在は、都営住宅と、それを囲むように漱石を記念した公園になっている。
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夏目坂から漱石公園に向かう途中に「早稲田小学校」を発見した。
私立ではなく、新宿区立の小学校であるが、さすが昭和レトロを感じさせるいい雰囲気の校舎が今でも使われている。
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《下戸塚坂》
夏目坂の来迎寺から右に折れて大久保通りに向かう道の大久保通りに出るところの坂が下戸塚坂である。(地図の青線)

江戸時代ここら辺は、武家屋敷であった。
武家屋敷に町名は付けられなかったことは、以前触れたことがあるが、ここも「下戸塚町」と名づけられたのは、明治5年(1872年)のことである。
この坂も、その時に町名にならって名前が付けられたようだ。
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大久保通りから北に向かって坂を見下ろしてみた。
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意外と急であるが、一気に約10m下った後は、夏目坂の来迎寺までだらだらと下る。
ここら辺もまだまだ木造家屋の多い住宅街だ。


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kiyotime

この辺はよく通るんですが、夏目漱石ゆかりの地とは
知りませんでした、、、 てっきり愛媛の人かと、、、
ところで、6枚目の写真で自衛隊駐屯地跡のマンションが
完成した事を知りました、、、
by kiyotime (2008-04-09 01:24) 

kotarobs

ご訪問いただいた皆さん、niceを付けていただいた皆さん、ありがとうございます。

kiyotimeさんこんばんは
この近辺よくご存知なんですね。私は知りませんでした。
つらつらyahooの昭和30年代の地図と航空写真を現代のものと比べてみてみなしたが、ここら辺はほとんど変化はありませんね。
一番の違いは、新目白通りくらいでしょうか。
by kotarobs (2008-04-09 21:11) 

ふくちょ〜

ご訪問有難うございました。
東京には何気に坂が多いのですね〜。
ボクの通っていた大学は、池田坂(だったかな?)の中腹にありますし。
by ふくちょ〜 (2008-04-10 12:53) 

kotarobs

ふくちょ~さんこんばんは、niceとご訪問ありがとうございます。
池田坂・・・というとCH大学でしょうか。
このブログの坂の話も、御茶ノ水の『幽霊坂』からはじまりました(^^
また遊びに来てくださいね~
by kotarobs (2008-04-10 23:08) 

さといも野郎

新宿に夏目漱石ゆかりの地があるとは知りませんでした。
by さといも野郎 (2008-04-11 00:52) 

kotarobs

さといも野郎さんおはようございます。
いつもniceとコメントありがとうございます。
そうですねぇ、漱石が活躍した時代、明治維新から文明開化の頃の勢いあふれる日本にあこがれます!
by kotarobs (2008-04-11 07:46) 

kokokoko

一つの坂にもいろんな歴史があって面白いですね。
夏目漱石は新宿っ子だったんですね。知りませんでした。
by kokokoko (2008-04-11 20:15) 

kotarobs

kokokokoさんこんばんは
niceとコメントありがとうございます。
そうですねぇ、歴史とロマン感じますね(^^
by kotarobs (2008-04-11 22:51) 

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