SSブログ

東京の坂と橋 番外編136 称名寺の隧道2 [東京の坂と橋]

前回は、称名寺と金沢文庫は隧道で結ばれていて現在の神奈川県立金沢文庫は、正面玄関を道路に向かってではなく、称名寺と金沢文庫を隔てる稜線に向かって開いていることを書いた。
前回の記事は次のリンクをクリックしてご覧ください。

 東京の坂と橋 番外編135 称名寺の隧道1

今日は、まず次の全体像をご覧いただこう。

12トンネル全景.jpg

写真一番左が、新しい隧道である。

次の写真は、新しい隧道を称名寺側からみたところ。

1新トンネル称名寺側.jpg

次の写真は、金沢文庫側から新しい隧道を見たところ。

2新トンネル金沢文庫側.jpg

そして中央が鎌倉時代に掘られたといわれている隧道だ。
次の写真は、称名寺側からみたところ。

2旧トンネル称名寺側.jpg

次の写真は、金沢文庫側からみたところ。

2旧トンネル金沢文庫側.jpg

この隧道には説明標識があるので、原文のままご紹介する。

この隧道は中世につくられたものです。
称名寺の伽藍が完成した1323年(元亨3年)に描かれた「称名寺絵図」には、阿弥陀堂の後ろの山ろくに両開きの扉があり、その洞門の位置に一致します。

江戸時代隧道の向こう側には「文庫がやつ」という地名があったことが記録されており、鎌倉時代の金沢文庫の遺跡の有力な候補地です。
県立金沢文庫の建設直前の発掘調査では、この隧道に続く中世の道路が検出されております。

なお、東側は風化が進んでいますが、西側は比較的形状を残しており、扉の支柱の痕跡もみられます。
この隧道は、国指定の史跡称名寺と金沢文庫をつなぐ重要な遺跡で、永久に文化財として保存されます。

さらに冒頭の写真の右にもう一つの隧道がある。

8第三のトンネル称名寺側.jpg

金沢文庫側を見てみるが、反対が何処に貫通しているのか様子はわからない。
はたしてなんなのだろう。
中世の隧道と同じくらいの規模で、大人がたって歩ける程度の高さがある。

この隧道群を正面に右手に目をやると、北条顕時(北条実時の子)と金沢貞顕(北条顕時の子)の墓所がある。

11北条顕時の墓.jpg

実はもう一つこの墓所の山側に洞窟が穿たれている。

10第四のトンネル.jpg

入り口は半ば土に埋もれていて、大人が立って入ることは難しいくらいの高さしかない。

これはいったいどうなっているのだろう。
色々ネットサーフィンをしていると、こんな記述に行き当たった。

称名寺の境内では野球などはできないので、山を越えた小さな児童公園で良く遊んでいましたが、称名寺との間に秘密のトンネルがありました。

大人がかがまなければならない位のトンネルですが、称名寺と公園の行き来に使えました。ところがそのトンネルは中で下のほうに行く道が分かれており、洞窟のようになっています。底には池があるとか、どこかとつながっているという話がありましたが、実際はどうだったのでしょう。

出展:称名寺と金沢文庫 http://www.yokokana.net/yokohama/yoko10.html

さらに国会図書館の文書を検索していて『かねさは』と入れて検索したら、一冊の本に行き当たった。

1938年(昭和13年)8月30日に横浜土地新報社から刊行された関靖著『かねさは物語』である。
この本は目次を見ると、金沢地区の旧跡を紹介していて、『称名寺』という項目もある。

以下原文を紹介するが、原文に出てくる金沢文庫は現在の県立金沢文庫ではなく、明治に入って伊藤博文が称名寺の境内に再建した金沢文庫で、関東大震災後鉄筋コンクリートで建て直されたもの。
文中にでてくる『(神奈川県立)昭和塾』が現在の神奈川県立金沢文庫である。

『かねさは物語』218ページに次のような下りがある
この墓所の隣に大きい洞窟がある。奥は可なり深く、池もあり、蝙蝠も住んでゐるが、これは明治時代になってから、硝子瓶の材料を採取するために堀ったもので、古くからあったものではない。この洞窟の前を過ぎると、坂道になってゐる。

かねさは物語の記述は、子供の頃遊んだ秘密のトンネルと

ほぼ一致する。

ということで、第四の隧道は隧道などではなく明治に硅砂を採掘するために穿たれた穴であり、一部通り抜けることができたものだろう。

現在は、入り口近辺は土砂にうずもれている。

それでは第三の隧道はなんだったのか・・・更なる調査をし、もしわかったことがあれば、改めてアップしたい。

さて、なぜ北条実時は、わざわざ山を隔てた場所に金沢文庫を作ったのだろうか。
その答えも同書にあった。

『かねさは物語』225ページ
実時の邸宅の北に戸を立てた穴を描いてあるが、それが今の文庫と昭和塾の間にある隧道で、古くは今の文庫の場所が実時の邸宅のあったところで、昭和塾のある方に文庫が建てられてゐたのである。この隧道は文庫の場所が実時の邸宅のあったところで、昭和塾のある方に文庫が建てられてゐたのである。この隧道は文庫往復のために穿たれたものである。文庫のあった場所を今でも文庫ヶ谷と称してゐる。何故に実時は山を隔てた不便なところに文庫を建てたかといふと、鎌倉は度々火災のあった所で、文献の上に記してゐるだけでも、実時は二度も火災に逢って、折角書写校合した珍籍の一部までも焼失してゐるので、極度に火災を恐れた結果、わざと山を隔てた安全な土地に文庫を立てることにしたのである。而もこの文庫には瓦を使っていたと見えて、この土地からは、いまでも往々北条氏時代の古瓦を採取することが出来る。古図によると、称名寺や実時の邸宅には檜皮を使用してゐたのである。

ということで火災を恐れて、わざわざ山の稜線を隔てた場所に建てたのだ。

さて、ここで称名寺を後にすると、本来この日の午前中の目的の隧道へと急ぐこととなる。

・・・つづく

さて今日の千羽鶴

15鶴.jpg

千羽鶴 15/1000


nice!(160)  コメント(32)  トラックバック(0) 
共通テーマ:地域

nice! 160

コメント 32

PENGUIN

金沢文庫は何度か行ったことがありますが
隧道に注目したことはなかったんです。
うーむ、歴史が深い。
by PENGUIN (2014-03-06 01:02) 

はせお

こんばんは。
防災のために建てたとなるのでしょうか。
江戸城や大坂城といった要塞また別の意味での建築でしょうね(^-^)
by はせお (2014-03-06 02:06) 

すー

おはようございます

いろいろな歴史と不思議が感じられますね。
by すー (2014-03-06 04:19) 

hatumi30331

駅員Зさん、色々ありがとうございます。まだ病名不明ですが、なんとか方向はみえてきました。
暇をもて余してるので、息子が買ってくれたタブレットを有効利用しようと只今苦戦中!!
どうすれば、自分のブログを更新出来るのか?できないのか? 頑張ってみます!
by hatumi30331 (2014-03-06 05:38) 

獏

当時はこの程度の隧道を掘るのも大変だったでしょうね。。。

by 獏 (2014-03-06 06:29) 

YUTAじい

おはようございます。
金沢文庫・・・未だ下車した事有りません。
それぞれの歴史考えさせられます。
色々ご連絡ありがとうございます、前文拝見して少し安心しました。

by YUTAじい (2014-03-06 06:30) 

XPERIA

おはようございます。
ジブリ作品に出てきそうな場所ですね!
探検してみたいかも^^
by XPERIA (2014-03-06 07:14) 

馬爺

お早うございます、三浦半島には今でもいろんな名残があるんですね。
伊豆半島も調べれば各所に鉱山後などが在るんですよ。
by 馬爺 (2014-03-06 07:41) 

さる1号

洞窟、探検したくなる場所ですね
現地に行ったら自分の中の男の子が騒ぎそう^^
by さる1号 (2014-03-06 07:53) 

Falcon

おはようございます。
勉強になります。 実時も考えたんですね。
この時代の瓦は、高価だったはず。 
好きなものには、お金を掛けたということでもありますね。
一番左側の隧道は、改修・修復されているようですが、
風情が無いというか、ちょっとがっかりする造りですね。
by Falcon (2014-03-06 07:59) 

koh925

おはようございます
明日、称名寺に行く予定です
by koh925 (2014-03-06 08:28) 

くまら

子供の頃、近所に有った用水(洞窟)で遊んでた頃
大人では入れない所があり、子供心に「秘密基地」と言って遊んでいた記憶が^^
by くまら (2014-03-06 08:32) 

viviane

私の歴史も残る文庫・・
この隧道巡りと文庫の街を近い将来歩いてみたいです
by viviane (2014-03-06 08:35) 

pandan

そういう歴史があるのですね。
by pandan (2014-03-06 08:44) 

ソニックマイヅル

おはようございます。歴史を感じますね。^^;
by ソニックマイヅル (2014-03-06 09:18) 

mimimomo

おはようございます^^
何だか昔の人と会話が出来るような楽しさですね。
by mimimomo (2014-03-06 09:24) 

johncomeback

面白いですねぇ、愉しませていただきました。
歴史の謎解きはワクワクしますね(^^)ニコ
by johncomeback (2014-03-06 11:42) 

orange

古文書を読みながらの史跡巡り。イメージが膨らみますね。
お忙しい中でのその情報収集の手際の良さと同動力。
by orange (2014-03-06 12:18) 

路渡カッパ

隧道探索、面白いですね♪
少年時代に秘密の隧道なんて、聞いただけでもワクワクしますね!(^~^;
by 路渡カッパ (2014-03-06 12:20) 

ニッキー

調べると色々判って面白いですねぇ^^
これからは私も「ふ~ん」で終わらずに駅員3さんを見ならって掘り下げて行きます(^O^)
いや・・・掘り下げるよう頑張りたいと思います^^;
by ニッキー (2014-03-06 13:32) 

まこ

子供の頃はこんな洞窟や防空壕が
街中に、ごろごろ有って
中に入って遊ぶと、
危ないから・・と大人に凄く叱られたものです(⌒▽⌒)

by まこ (2014-03-06 15:39) 

なんだかなぁ〜!! 横 濱男

隧道があっても、通り過ぎてしまいます。
よく調べられましたね。
推理作家の世界に入っていくような気分になります。
by なんだかなぁ〜!! 横 濱男 (2014-03-06 17:19) 

昆野誠吾

歴史ある隧道、たまりません。
封鎖されているのや崩落しているのなんか
探検したくなってしまうから困ります^^;
でもなんか隧道の上、空がすぐ見えますが
コチラ側と向こう側、階段作って登って降りてじゃ
ダメだったのかなぁなんて!?
by 昆野誠吾 (2014-03-06 18:45) 

旅爺さん

長い歴史の中には分からないことも多いですね。
by 旅爺さん (2014-03-06 19:03) 

ryuyokaonhachioj

何時も、鶴の紙で、素敵に出来てますね。
by ryuyokaonhachioj (2014-03-06 20:46) 

夏炉冬扇

今晩は。
長い時代を生きてきたトンネル。興味がつきませんね。
by 夏炉冬扇 (2014-03-06 21:16) 

風来鶏

火災による書籍の焼失を防ぐために、山を"防火壁"にしたのですね!?
でも、その山が火事になったら…火が山の上から下りてくることは無いか(^^;;
by 風来鶏 (2014-03-06 22:36) 

しおつ

昔の隧道、そそられますねえ。
子供の頃は防空壕探検とかやったけど、
いまはそんな遊びができるところはなかなかないでしょうね。
by しおつ (2014-03-06 23:35) 

ちょいのり

墓所の裏のトンネルがやっぱりきになりますよね。
一本道ではなく二手。
更に池らしきものがある・・・と!
入って覗いてみたくなりますね^^

by ちょいのり (2014-03-07 01:08) 

唐津っ子

耶馬渓の青の洞門もそうですが,
当時の道具でここまで掘るのは相当大変だったでしょうね.
by 唐津っ子 (2014-03-08 23:27) 

たま

古い記事なので、今更、誰も見ないかもしれませんが…
35年〜40年程前までは、洞穴に入れました。
奥は当時小学生の自分達でも、屈まなければ通れない箇所があり、いくつかの道筋があります。
実際の広さは真っ暗な為わかりませんが、若干迷路のようになってました。
外にタコ糸を結んで奥に入ったりしました。
記述にあるような、池(というより水溜め?)みたいな空間もありました。
記憶があいまいですが、そこには目の退化したクチボソのような小さな魚がいたと思います。
壁面が鍾乳石のような場所もあり、削ろうとした覚えがあります。

何度か探検に行ったはずなんですが、ある日、そこを寝床にしてたのか、悪さをしてたのか、酔っ払いのような、シンナー中のような、オヤジに石を投げつけられ、洞窟よりも、そっちの方がが怖くて中に入らなくなりました。
元々軽く「入るな」的な看板はあった気がするんですが、その後しばらくするとロープが張られたような気がします。

ちなみにこちらは旧金沢文庫裏辺りの洞穴ですが、称名寺を挟んで反対側の裏地にもいくつか洞穴があり、そちらは広いのやら、部屋一つのやら、防空壕跡や、墓っぼっかったですね。
壁にはムカデがビッシリでした。
by たま (2019-02-04 20:39) 

駅員3

たまさん、貴重なお話をありがとうございます。
僕も近くに住んでいたら、探検したかったなあ
by 駅員3 (2019-02-07 07:06) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

トラックバック 0