1936年2月26日⇒2012年2月26日 [気になったもの]
今日は東京マラソンが行なわれました。?
本来ならボーイスカウトの奉仕で沿道整理に行っていたのですが、自治会の役員会が予定されていたことから、奉仕は辞退していました。
ところが自治会の役員会が流れたため、海に行きたいと土曜日の夜から計画をしましたがお天気が・・・
朝起きてみると、曇天・・・しかも寒い
そこで、テレビをつけると東京マラソンの中継が放映されていました。
ところが今日のテレビ等で、二・ニ六事件を扱ったものはなかったように思い、ちょっと寂しいですね。
以前二・二六事件を取り上げてから、早3年がたってしまいました。
よろしかったら、以前取り上げた記事をご覧ください。
私の以前の記事にも取り上げましたが、祖父は職業軍人で二・二六事件では鎮圧軍として出動したといいます。
子供の頃、色々戦地での話は聞かされましたが、二・二六事件のことは、聞いても言葉少なげに「戒厳司令部にいた。」としか教えてくれませんでした。
映画『日本海海戦』を祖父と一緒に見に行ったとき、203高地攻略の様子の場面では涙を流して観ていましたが、祖父の涙を見たのはそれが最初で最後でした。
また、父は陸軍少年航空兵でした。
当時の陸軍少年航空兵は、操縦生徒は満17歳以上、技術生徒は満15歳以上でいずれも高倍率の難関を突破して採用されたそうです。
父は14歳で年齢をごまかして受験し任官されたそうです。
当時の少年航空兵は通常の下士官が着る制服よりも質や体裁のいいものが与えられていたそうです。
父も、航空学校での話し、戦地での話し、シベリア抑留中の話しなど、聞かせてくれました。
父は航空学校を卒業するときに、天皇陛下から銀の懐中時計を下賜されたそうです。
私も含めて今の世代の親は、いったい子供達に何を伝えられるのだろうと考えると、自分の体験として語れることの如何に少ないことか。
暗く、辛く、苦しい体験をしろとは言いませんが、子供達にはスポーツを通してでもいいし、勉強を通してでも、また趣味を通してでもいいから、大きな山を越える体験をさせたいものです。
剣ヶ峰を越える努力を知る人は、いざというときに踏ん張りが利くことでしょう。
こんばんは。
私の祖父もシベリアでの抑留生活があったようです。
幼いころに、亡き祖父のことを祖母から色々と聞かされました。
今後、私が子に伝えることとしては・・・確かに苦労の経験ですね。
とはいいつつ、私も比較的ぬるま湯につかってきた感もありますが^^;
by perseus (2012-02-27 01:20)
>今の世代の親は、いったい子供達に何を伝えられるのだろう
全くもって、私にとっては耳の痛いお話です^^;
私の母親も80歳を越える歳であり、戦中派でありますので、
小さい頃はよく当時の話を聞いて、心を痛めておりました。
しかし、私はそういう苦労話を子供に聞かせられるような
経験もなく・・・
もっと自分を戒めなければいけませんね。。。
by 銀狼 (2012-02-27 01:42)
2・26事件を取り上げている方をやっと見付けた!
忘れ去られた事件で無い筈と思っていたので・・・
俺はそもそも親との接触自体が皆無に近い位なので、そう言う話を聞いた事はありません。
俺がこの事件の事を知る様になったのは、家族以外の人の家族から聞いた話での事でした。
ですので、知っていても公に出来ない事ばかりですので割愛させて頂きました。(ウィキのリンクのみ。)
by 亀仙人 孝禎 (2012-02-27 01:57)
おはようございます
>大きな山を越える体験をさせたいものです
本当にそう思います。ピンチのときや落ち込んだ時の踏ん張りや抜け出す力や知恵が付きますよね。
by すー (2012-02-27 04:47)
おはようございます。
私の父も満州へ、上官の方が体験を纏めた冊子大事にしてます。
お祝いコメントありがとうございます。
by YUTAじい (2012-02-27 05:07)
本当ですね。。。
常々感じていることですが、おしえてやれることが少なくて難義しています。
自分は恩師が零戦搭乗員だったので様々な事を教えてもらいましたが、自分は実体験じゃないのでやはり語れませんね。。。
大きな山は非常に大事ですね。
by レイリー (2012-02-27 06:21)
努力して乗り越えていくって大切ですね。
by pandan (2012-02-27 06:34)
子供達に何を伝えられるのか・・・何を伝えなければならないのか。
あまり考える事もなく只、流されて・・(哀)
by さる1号 (2012-02-27 09:01)
今の若者は草食系などといわれるように軟弱ですね
その点、スカウト活動やスポーツで鍛えられた若者には
大きな山を越えられる気概がありますね
by koh925 (2012-02-27 09:05)
私も含め、忍耐力をつけなければと思いました。^^;汗
by ソニックマイヅル (2012-02-27 09:21)
最近、大戦当時を思い起こすような
報道等は、全然やらなくなりましたよね
暗い過去の事ですが、
隠さず事実を後世に伝えて行く事が大切だと思います。
また、3月の16・17日に東京へ行きます。
16日は、東京駅近郊で会議の為、東京駅近郊をぶらぶらするつもりです。
17日は、ナイヤガラのカレーを頂きに祐天寺へ行く予定でおります。
もし、出会える機会が有れば、良いんですけどね^^;
by くまら (2012-02-27 10:20)
ご無沙汰して申し訳ございません〜
銀狼さんからいろいろお伺いして
ナイアガラに早くいかねば…と思いましたぁo(^▽^)o
by masalin (2012-02-27 11:41)
こんにちは^^)
我が家の中学生の息子が「今日は2.26事件の日だ~」と
言ってました。。。
歴史の授業で覚えるべき事項としてしか捉えていないのだと
痛感しました。。。それは私にも言えることですが。。。
戦争の実体験を話してくれる人も年々少なくなっていますね。。。
by rtfk (2012-02-27 12:14)
「若い頃の苦労は買ってでもしろ」と言う言葉がありますね、正しく、その通り
だと思います。
自分は学生時代に結構厳しい環境だったので、今の自分があるとつくづく思う
ところです。
by kinkin (2012-02-27 13:14)
そうでしたね、、東京マラソンの前に2.26事件の日でしたね・・・
リンクの記事も拝読しました。 戦争の話はどんな戦争にせよ
男の子を持つ母親の立場でものを考えてしまいます。
by キャスリーン・ケリー (2012-02-27 14:56)
2・26事件はわたしの目には新聞でもテレビでも映りませんでした。
風化したのだろうか、話題にするだけの価値は無いのだろうかと思っていました。
by 斗夢 (2012-02-27 16:05)
本当に東京マラソンで盛り上がっておりましたが
2・26事件を取り上げた番組やニュースがなかったように思います。
寂しい限りですね。
by ナビパ (2012-02-27 17:29)
今までもいろんな事件に対して本当に興味半分で語れられても2.3年すればうわささえも無いメディアも取り上げなくなってしまうとわすれられた事件としてだけが残る今の社会なんですね。
2.26事件だけではなくいろんな事件が記憶の片隅に追いやられていくのが早すぎる現代ですね(話題が多すぎるのか、すぐに興味が無くなるのか一部の関係者だけは何時までも記憶が消えないのですね)
覚えてますか三島事件、あさま山荘事件、日航機ハイジャック事件等
当時は真剣に見入ってたのに時間とともにうつろな記憶に成ってますね。
by 馬爺 (2012-02-27 20:20)
なんだかぬるま湯につかっている私たちよりも、父や祖父の時代の苦労は比べ物にならなかっただろうと思います。
特に戦争体験は正しく語り継いでいく必要があると思います。
by さといも野郎 (2012-02-27 21:07)
歴史的事件も、風化してしまう現代でしょうか?
辛いモノ、悲しいモノに、蓋をするだけでは、何も変わらない、閉塞感だけが生まれるだけですね。
今や、2.26事件当時と似たような状況になっています。
もっと、穏やかに、解決できる時代であることを願います。
by kiyo (2012-02-27 21:11)
今晩は。
長男が兵学校でした。当時の話はしませんね。
by 夏炉冬扇 (2012-02-27 21:13)
私の父もあまり語りたがりませんでしたね。
こちらが聞いても、そらすことが多かった気がします。
by そらへい (2012-02-27 21:17)
こんばんは、
前の職場の近くに高橋是清邸の跡地の公園があり、よく休憩にいっていました。
今の世相を2.26事件前の状況になぞらえる論者もいますね。
祖父の世代、父の世代の築いたものの上に私たちが居るという意識が大事ですよね。
by Azumino_Kaku (2012-02-27 22:09)
16日の18時30分以降は空いてますよ~
オフ会・・企画してくれるとですか??
凄い楽しみにしております
by くまら (2012-02-27 23:44)
私の仕事の相棒は“元自衛官(陸自)”ですが、こいつは自衛隊で何を学んできたのだろうと思うことがしばしばです^^;)
その反面、タイの研修生の一人は陸軍出身で、とてもガッツがあります!!
by 風来鶏 (2012-02-27 23:45)
ご意見の趣旨には賛同いたします。
アメリカの一流大学院で、最も成績が伸びるのは(元?)軍人だと聞きました。
軍隊は、究極の体育会系ですもんね。
by tooshiba (2012-02-28 00:59)
こんにちは
お久しぶりです
先日の日曜日2月26日に東京から韓国からの留学生の女性が訪ねて来て、大磯の町を案内しました。初対面で伊藤博文が住んだ街と言うのはショックが大きいので、ネットで調べた徳恵姫の話をしました。徳恵姫は朝鮮の李朝最後の王女で大磯にも何度か来ています。留学生の彼女は朝鮮動乱の頃が一番大変だったと聞いていると静かに話してくれました。軍事的緊張が日常の今の韓国と、今の日本知らない事が多いと今更ながらに想いました。226の日、29日の今雪を見て思いだしました。
日本に十歳で留学された李垠殿下も陸軍軍人だったそうです。
by SILENT (2012-02-29 09:18)
昔の人たちは時代の奔流のせいとはいえ、文字通り艱難辛苦を体験してきましたね。その壁にぶち当たって鍛えられたものは精神だったと思います。安きに流れやすい時流は若者にとってどうなのでしょうか。
二・二六事件後に建立された日蓮の石像が移されて、稲城市の日本山妙法寺にあります。
by sig (2012-03-04 16:48)