東京の坂と橋 番外編63 東京市軽便鉄道 [東京の坂と橋]
玉川上水の話しを書き始めたはずなのに、 いつのまにか廃線ウォークの様相を呈して、村山貯水池、山口貯水池から離れられなくなってしまった。
羽村山口軽便鉄道の廃線跡も一回でさらっと通り過ぎようとしたら、なんと7回を数え、さらに東村山を走った東京市軽便鉄道に話は及んでしまっている。
当初は、玉川上水を羽村取水堰から四谷大木戸まで四十数キロを数回かけて歩く予定であったのに、いつまでたっても先に進まない。
この調子だと、四谷大木戸までたどり着くのがいつになることやら
まぁ急ぐ旅ではなく、あちこちに脱線するのはお許し頂きたい。
最近の廃線跡の旅は、次のリンクからジャンプする。
⇒羽村山口軽便鉄道
⇒羽村山口軽便鉄道2
⇒羽村山口軽便鉄道3
⇒羽村山口軽便鉄道4
⇒羽村山口軽便鉄道5
⇒羽村山口軽便鉄道6
⇒羽村山口軽便鉄道7
⇒国鉄福生河原支線
さて、昨日は東京市軽便鉄道の話を書くつもりが、『隧道橋』で終わってしまった。
今日は項を改めて、東京市軽便鉄道についてお話ししたい。
東京市軽便鉄道は、村山貯水池建設のための資材運搬のために1920年(大正9年)に開通した。
大正9年といえば、過去私のブログで取り上げた、松竹鎌田撮影所が出来た年でもある。
また、箱根駅伝が始まった年でもある。
さらに世界ではアメリカで禁酒法が施行され、アルカポネと、エリオットネスが戦いを繰り広げるアンタッチャブルの時代に突入する。
そんな時代に、東京市軽便鉄道は開通したのだ。
1924年(大正13年)には、宮鍋隧道手前から宅部池の脇を抜けて滝見橋を通り、下堰堤まで支線が作られた。
貯水池竣工記念式典には、東村村山からたくさんの参列者を乗せて下堰堤まで走ったという。
(滝見橋については、また別項でご紹介する)
山口貯水池の建設が始まったのは1916年(大正5年)からで、村山貯水池への資材運搬の窓口は東村山駅と決まり、当初は馬車軌道(馬ドロ)で資材などが運ばれていた。
次の写真は、東村山西口にあった資材置き場で行なわれた開通式の模様だ。
左手には大日本軌道鉄工部が製造したB型タンク(5t)が2台写っている。
煙突からは煙が出ている様子から、いつでも発車できる状態でスタンバイしているのだろう。
右側には祭壇が設けられ、その前には神職の方とモーニングを着た方がいる。
さらに参加されている方の着ているものを見ると、前の方には、紋付羽織を着た参加者が椅子に座り、その後には、半纏をまといパナマ帽をかぶった職人さんが控えている。
この頃は、まだ砂利を運ぶ貨車は写真右側に写っている通り木製で、鋼鉄製のナベトロ(上のリンクの「羽村山口軽便鉄道2をご覧ください。)が登場するのは、羽村山口軽便鉄道からとなる。
一編成12台の木製トロッコを牽引していた。
当時の東村山駅西口は、次のような雰囲気であった。
当時東村山駅西口は、村山貯水池の工事関係者などが多く住み、映画館などもあって多摩地域の中では大変な賑わいを見せていたようだ。
正面突き当りが東村山駅で、手前に引かれている線路は、軽便鉄道のものだろうか?
川越鉄道(現西武国分寺線)の線路は、正面駅舎の奥に敷設されている。
東村山駅前を出た軽便鉄道はどのような経路をたどって村山貯水池まで走っていたのだろうか。
実は、東大和市の作成した資料と、東村山市の作成した資料では、その経路が違っている。
色々調べていくと、『東京市上水道拡張事業報告書』に地図などはなかったものの、次のくだりを見つけた。
「村山貯水池築造工事ハ実ニ多大ノ材料ヲ要スルヲ以テ川越鉄道株式会社東村山駅ヨリ村山貯水池内ニ工事材料ヲ運搬スル為ノ軽便鉄道ヲ敷設スヘク之カ測量ヲ為スモノナリ
北多摩郡東村山村2054番地ヲ起点トシ村山街道ノ南ニ沿ヘル畑地ヲ西ニ向カッテ走リ同郡清水村801番地先ニテ村山街道ヲ北ニ向カッテ突ッ切リ更ニ西ニ折レ又北ニ進ミ村山貯水池引出隧道ヲ潜リテ貯水池内ニ入ルモノトス」とある。
この記録を再現すると、次の地図のようになる。
ただし、このルートをたどると、下堰堤へと向かう支線にも地形的には隧道が必要となり、無理がある。
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このルートは、東大和市作成の資料による。
次に、東村山市の作成した資料のルートは、次の地図のようになる。
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このルートは、導水管の上、もしくは脇を通り、貯水池へと向かう。
このルートなら、新たに軌道用地を取得する必要も無く、他の場所でも導水管を建設するための資材運搬のために導水管に沿って軌道が敷設されており、合理的だと考える。
また、下堰堤に向かう支線のルートも現在たどることが出来、現実的である。
廃線跡は、何かしらの痕跡を地図に残していることが通例であるが、東大和市のルートは、地図や航空写真、そして、現地を歩いてもそれらしいものは見つからなかった。
以上のことから勘案して、私は東村山市ルートが現実的であると考える。
以下、東村山市ルートをたどってみよう。
次の写真は、東村山駅西口だ。正面が南となり、駅前の資材置き場を南へ出発する。
次の写真は逆方向から見たところだが、西に向かってゆるやかにカーブしている。
(写真右端にお尻を見せているのはM38君だ)
同じ地点から西を見るとこのように90度ちかくカーブする。
このカーブに線路を配したら、調度よいカーブのように思える。
この後東村山浄水場の北側を西進し、導水管と出会うとやや北西に進路を変える。
現在は次の写真のように、サイクリング道路となっている。
この道路の左側に併走して西武多摩湖線が走っているが、多摩湖線の萩山⇔村山貯水池間が開通するのは、1930年(昭和5年)のことで、村山貯水池の完成したのが1927年(昭和2年)であり、西武多摩湖線と、東京市軽便鉄道が併走することは無かったのだろう。
この後、隧道橋を過ぎて、村山貯水池を目指す。
この先ゆるやかな上り坂となっているが、湖の湖底との高低差(多摩湖の湖底が標高100m、正面の尾根が110m、そしてこのカーブ地点が100m、隧道橋付近が90mとなっている)を考えると、このカーブ辺りから隧道が掘られていたとも考えられる。
当時の様子を記した資料を読むと、多摩湖から導かれた水は、しばらく開削部を流れたとも書かれており、次の写真から考えて、隧道橋からこの辺りまでの間に、隧道の入り口があったと考える。
この水が流れているところに線路が敷かれ、蒸気機関車が走っていたのだろう。
下堰堤に伸びる支線のコースは、現在都立狭山公園の入り口となり、滝見橋までアスファルトの道が続く。
ここを数十年前に軌間610mmのかわいらしい蒸気機関車が煙をはきながら走っていたのだろう。
話しは飛ぶが、川越鉄道(現西武国分寺線)と東村山浄水場から境浄水場へと向かう導水管の交差地点にも資材置き場が設けられ、導水管工事の資材を運ぶため、軽便鉄道が敷設されながら建設されたというが、詳しい資料は見つからなかった。
貯水池完成後、地元では観光客の輸送に活用する意向があったものの、工事関係の建物の払い下げを受けるにとどまり、レールや機関車は、山口貯水池建設のための羽村山口軽便鉄道へと転用されていった。
羽村山口線で使われた機関車は総勢28輌、大日本軌道製の蒸気機関車2輌の他、米国ホイットコム製ガソリン機関車、米国フェートルートヒース社製プリムス型ガソリン機関車、加藤製作所製ガソリン機関車、ドイツ製ディーゼル機関車などがあった。
また鋼鉄製のナベトロは480輌使われた。
戦後小河内ダムの建設が始まると、これらの機関車や貨車は小河内貯水池建設に転用されることとなる。
さてさて、長々と続いてきた軽便鉄道の話しもこれで一区切りとなる。
あと二回ほど村山貯水池付近の様子を紹介したら、玉川上水ウォークに戻りたいと思う。
HALは東村山ふるさと歴史館展示のジオラマに食いついてしまいました。ところでトトロの劇中に軽便鉄道らしきものが映っていましたがこの鉄道がモデルなのでしょうか?時代が合わないので違うとは思いますが。
by HAL (2010-03-07 23:40)
今は跡形もない軽便鉄道を、よく探求なさっていらっしゃいますね。
実に奥が深いですね。
自治体ごとに推定?ルートが違うのも、本格的に調査される方にとっては大変困ったことだろうと思います。
しかし、両者のおおまかな線形は一致するから、良しとしますか。笑
by tooshiba (2010-03-08 00:23)
こんなかわいい機関車が今も走っていたら、
絶対人気でしょうね、、軽便鉄道廃線跡、
興味をもって読ませていただきました。
by kiyotime (2010-03-08 00:33)
おはようございます。
いつもながら、すごい情報量ですね。
by すー (2010-03-08 05:06)
おはようございます。
大作に感心するばかりです。
by BPノスタルジックカーショー (2010-03-08 05:09)
東村山で、西武園に行くのに乗り換えをしていたのは、
自分が子供の頃の話です。
それよりはるか昔は、軽便鉄道を汽車が走っていたとは、
すごいロマンです。
by manamana (2010-03-08 06:26)
東京、行ってみたいです^^
☆
by yuki999 (2010-03-08 09:44)
記事取材、ますます冴えますね。ご苦労様です。
by mwainfo (2010-03-08 11:58)
何気ない小道も歴史があるのは考え深いです&わずかに残る痕跡を求めてのM38名探偵?!面白かったです(^o^)/。
by 八丁掘 (2010-03-08 17:20)
かわいい機関車だったようですが、現存しているものは無いんでしょうか?
by さといも野郎 (2010-03-08 20:26)
いろいろ調べると面白い歴史がありそうですね!
by ハイマン (2010-03-08 21:29)