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東京の坂と橋 番外編62 羽村山口軽便鉄道8 村山支線 [東京の坂と橋]

昨日ご紹介した上山口支線に続いて、今日は6号隧道南側から多摩湖北岸に沿って、村山貯水池堰堤まで続いていたもう一つの支線をご紹介したいと思う。
もちろん、この『村山支線』という名前も私が便宜上勝手に命名した名前である。
今までご紹介してきた内容は、次のリンクからジャンプすることが出来る。
 ⇒羽村山口軽便鉄道
 ⇒羽村山口軽便鉄道2
 ⇒羽村山口軽便鉄道3
 ⇒羽村山口軽便鉄道4
 ⇒羽村山口軽便鉄道5
 ⇒羽村山口軽便鉄道6
 ⇒羽村山口軽便鉄道7

まずはそのルートを地図で確認しよう。


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残念ながら、5号隧道から6号隧道までのようなはっきりした廃線跡は見つからない。
そこでタイムマシンに乗って1947年(昭和22年)までさかのぼって上空から観察してみると・・・
次の航空写真は、1947年に米軍が高度1829mから空撮したものだ。
村山支線は、黄色の点線で、本線と、上山口支線はピンクの点線で記した。

村山支線.jpg 

1947年当時は、まだ軽便鉄道廃線跡の痕跡を止めている。
ほぼ多摩湖の北岸を走る道に並行し、現在の多摩湖自転車道と一致している。

残念ながら、当時の記録写真は見つからなかった。
昨日ご紹介した上山口支線は、山口貯水池への建設資材を輸送するためのものであったが、ここ村山支線は何のために作られたのか。

山口貯水池は、村山下貯水池の竣工した1927年(昭和2年)に着工している(村山上貯水池の竣工は1924年(大正14年)だ)。
なぜ完成していた村山貯水池まで軽便鉄道を延伸させたかというと、太平洋戦争が関係してくる。

1941年(昭和16年)には、攻撃目標となりやすいダムの防御のために高射砲陣地が設けられ、1943年(昭和18年)には堰堤の帯弾層工事に着手、一年かけて村山、山口両貯水池の堰堤は、約1.5mの砂利とコンクリートからなる帯弾層が築かれた。
その帯弾層工事に必要な砂利を運ぶために村山下貯水池まで延伸されたのだ。

1945年3月の東京大空襲は、区部だけでなく東京周辺の軍事施設、工場にも及んだが、ここ村山、山口両貯水池、境浄水場など水道施設にも攻撃が加えられている。
村山貯水池の水を抜くと、湖底からは爆弾の着弾したクレーターは補修されることなくそのまま残り、村山下貯水池の取水塔には機銃掃射の弾痕が今でも残っている。

取水塔D70.jpg

また、高射砲陣地跡の他、電波探知機(レーダーサイト)跡、防空壕跡などの戦争遺跡も、水道用地の森林の中に埋もれている。

電波探知機跡
DVC00029.JPG

湖底につけた爆弾の落ちて爆発したクレーター痕
DVC00031.JPG
(上の二枚は、東大和市刊行の資料より)

帯弾層工事の後、コンクリート、砂利のままだと色が白っぽく上空からの格好の攻撃目標とされる懸念があったことから、堰堤はコールタールで真っ黒に塗られた。
その痕が今も消えずに残っているのだ。

平成の耐震工事のときに、昭和の帯弾層工事で積み上げられた砂利などを取り除くと、竣工当時の築造物が現れた。
次の写真は、堰堤の親柱である。
左竣工時写真は、親柱が高いが、右の帯弾層を撤去する直前の親柱は低い。

村山貯水池6.jpg
(湖畔に設置されている説明写真より)

村山貯水池5.jpg

上の黒く塗られている部分が、帯弾層竣工後も露出していた部分だ。
地中に埋もれていた部分は真新しく白い。このコントラストが痛々しい。

次の写真は、帯弾層撤去前の堰堤。

村山貯水池.jpg

高校時代、この堰堤に座って多摩湖の水彩画を描いたことがある。
帯弾層を撤去すると、次のような高欄が現れた。

村山貯水池2.jpg
(以上二枚は、湖畔に展示されている写真より)

橋の欄干.jpg

耐震化工事完了後には、上の写真のように保存、公開されている。
完成して数年で地下にうずもれて歳月を経たため、いまでも非常に新しく見える。

3月の東京大空襲のあとも、4月から6月までのべ5回の空襲を受けて、数百発の爆弾投下を受けている。 

村山、山口両貯水池にわたる戦争の爪跡はあまり知られていないが、ぜひ戦争の理不尽さ、悲しさを伝えるためにも後世に残したいものである。

村山貯水池7.jpg

このように一見平和そのものと見える景色の裏には、つらく暗い時代を乗り越えてきた歴史があり、その背景を知ったうえで、この美しい景色の大切さを学びたい。

大きく廃線跡から話しが脱線してしまったが、今日の写真の注釈のないものは、Nikon D300Sによる。


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コメント 11

tooshiba

市街地のみならず、郊外も空襲を受けたのですね。

町田(市内中心部~南部?)は厚木基地の訓練飛行のルート直下となっています。日によっては夜間も戦闘機の轟音が響き渡ります。
爆弾こそ落とされないものの、今でも空襲を受けているようなものですね。苦笑
by tooshiba (2010-03-01 01:42) 

manamana

勤務先の春日井市も名古屋空港のルートにあり、
小牧基地の爆撃機や戦闘機がうなります。
地元の人は慣れているようですが、
自分はなかなかなれませんね。
by manamana (2010-03-01 06:57) 

しおつ

この場所にも戦争の傷跡がたくさん残っていたのですね。
by しおつ (2010-03-01 22:19) 

Azumino_Kaku

こんにちは、
このあたり、都心から近い割りに自然が豊かでなかなか好きです。自転車で湖畔を回るのもいいですよね。

by Azumino_Kaku (2010-03-01 23:01) 

さといも野郎

戦争の遺跡は過ちを繰り返さないために、
とても大切に守っていかないといけませんね。
by さといも野郎 (2010-03-01 23:28) 

みついたろう

知りませんでした。戦争の跡がこんなところにあるなんて。でも考えてみれば、重要なライフラインですから、真っ先に爆撃の対象になってしまいますね。想像もしていませんでした。
by みついたろう (2010-03-01 23:33) 

mwainfo

貴重な郷土史です。
by mwainfo (2010-03-02 11:12) 

駅員3

くまらさん、トロッコさん、tooshibaさん、paceさん、ガンバルおやじさん、kskoyzikさん、キャラハンさん、manamanaさん、いわもっちさん、gardenwalkerさん、鉄腕原子さん、@ミックさん、koh925さん、お茶屋さん、enosanさん、さくら君さん、ぷーちゃんさん、xml_xslさん、genさん、shinさん、ブルガリトートバックさん、many_mrsahlさん、小父蔵さん、かずのこさん、債務整理過払い金さん、料理ママさん、CASCO事業部さん、トメサンさん、ほりけんさん、けーたんさん、シロクマ。さん、yutakamiさん、qoo2qoo さん、cocomotokyoさん、たくさん、単騎さん、HALさん、しおつさん、dekoさん、Azumino_Kakuさん、abikaさん、きつねさん、さといも野郎さん、ナカムラさん、umi37-さん、mwainfoさん、youziさん、こんばんは。ご訪問と、niceありがとうございます。

⇒tooshibaさん
うちは、たまに横滝地の離発着の飛行機が掠めることがあります。

⇒manamanaさん
爆音に慣れることの出来る人はいないでしょうね。

⇒しおつさん
そうなんですよね。
意外なところにたくさん残っているものですね。

⇒Azumino_Kakuさん
そうですね、湖畔のサイクリング道路はしっかり整備されているし、自然は豊かだし、走るにはもってこいですね。

⇒さといも野郎さん
そうですね、遺跡を守るとともに、子供達にしっかり教えてあげないといけませんね。

⇒みついたろうさん
こんなところまで爆撃されていたなんてびっくりですよね。

⇒mwainfoさん
ありがとうございます。
そういっていただけると嬉しいです(^^)/
by 駅員3 (2010-03-02 23:42) 

空兵ーS

湖水に映える建物
外国の教会のようですね。

こんな平和そうに見える風景の奥にも
戦争の傷跡が残っているんですね。
by 空兵ーS (2010-03-04 21:57) 

駅員3

風の子さん、だみかんさん、デザイン屋さん、Lucifer_yoshiさん、空兵-Sさん、こんにちは。
ご訪問と、niceありがとうございます。

⇒空兵-Sさん
この取水塔はなかなかいいですよね。
実は手前と、奥では数十年の都市の佐賀あるんですよ。
手前は、貯水池が出来たときのものです。
by 駅員3 (2010-03-05 10:44) 

kiyotime

柱の黒い部分はコールタールの跡ですね。
しかしクレーター痕は大きそうで、爆撃の凄まじさを
彷彿させて恐ろしいですね、、
by kiyotime (2010-03-07 11:53) 

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