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東京の坂と橋 113 遠江坂と羽村山口軽便鉄道 玉川上水を歩く第6回 (玉川上水10) [東京の坂と橋]

羽村山口軽便鉄道は、 1921年(大正12年)に建設中の村山貯水池(1922年完成の村山上貯水池、1927年完成の村山下貯水池からなる)に多摩川の水を送水する導水管(羽村村山線)の建設のために、導水管沿いに敷設されたのが最初である。
このときの名称を『羽村山口導水管敷設工事軌道』といったようである。

当初導水管工事が終わると軌道も撤去されたが、急激な東京の人口増加に対応するため、村山貯水池の北側に山口貯水池が計画され、1928年(昭和3年)には工事が始まった。
この工事に伴って軽便鉄道が復活したのである。

山口貯水池よりも一足先に完成していた村山貯水池は、同じく多摩川の砂利を運んだが、青梅線、中央線、西武国分寺線を経て東村山に至り、そこから工事用に敷設された軽便鉄道で村山貯水池の工事現場まで運ばれた。

羽村から山口まで総延長12.6kmを、自重4.5tのディーゼル機関車(軽自動車程度の大きさ)が『ナベトロ(小型のホッパー車で横の断面がナベ型であったことから、そう呼ばれていた)』を引いて終夜運転されていた。
使用されていた機関車は28輌、ナベトロは450輌にものぼった。
後にも先にも東京最大規模の軽便鉄道だった。
この施設を作るために、江戸時代からあった『遠江坂』が付け替えられてしまった。

【遠江坂】
遠江坂は1921年(大正12年)の導水管工事の時に壊されて、その原形を止めていない。
戦国時代この地方を支配した豪族大石遠江守がこの坂の近くに館を構えたことから、『遠江坂』と呼ばれていたようである。

次の写真は遠江坂の最上部から下側を見たところであるが、写真正面の突き当たりに見えているところから、現在は右にカーブしている。
昔は、このまままっすぐ玉川上水めがけて降りて行ったようだ。

20100109遠江坂.jpg

遠江坂は、現在崖上の公園には羽村市教育委員会の設置した標識があり、その標識から往時の坂を偲ぶばかりである。
次の写真の左手に見えているガードレールが、現在の坂である。
昔は、ちょうど正面中央から降りてくる坂道であったようだ。

20100109崖下4.jpg

20100109崖下2.jpg奥多摩街道沿いには大きな空き地があり、一カ所に大きな玉石が集められているのは、昔の遺物なのだろうか?
また、斜面にはコンクリートと玉石で作られた『ムロ』のようなものがある。
現在はコンパネ(ベニヤ板)で入口が塞がれているが、中は二畳ほどの空間になっている。
これも当時の施設の一部なのだろうか?
この公園から横田基地に向かって、ほぼ直線で伸びていく。
青梅線との交差は、軽便鉄道がクロスオーバーしていた。
青梅線を越えて福生市加美平団地付近になると、痕跡ははっきりしなくなる。
次に再び痕跡を現すのは、横田基地とその隣にある石川島播磨重工の工場を越えたところからである。
ここら先は、サイクリングロードとして整備されている。

20100109崖下.jpg

奥多摩街道から、上の写真の空き地を登ると、ほぼ正方形の公園になっている。(下の写真ご参照)

20100109その先4.jpg

この公園から地図を見ると横田基地めがけてまっすぐに廃線跡(導水管の埋設されたところ)が伸びている。
上の写真の場所から振り向くと次の写真のような光景が待っている。

20100109その先.jpg

次の写真は、青梅線東側から多摩川方向を見たところであるが、記録によると、往時はここ青梅線をオーバーパスしていた。

20100109その先6.jpg

次の写真は青梅線とのクロス地点から横田基地方向を見たところ。

20100109その先5.jpg

先日終点近くの村山貯水池の南側をヤブコギして、その痕跡を探し回ったが、残念ながら水道局の高いフェンスに阻まれて、途中で断念せざるを得なかった。
国土地理院まで行って、古い地図を買えば良いのだろうが、そこまでする時間も無く、航空写真を様々に縮尺を変えながら村山貯水池と山口貯水池の間を見ていると、一本の筋が見えてきた[ひらめき]
今までの経験から、廃線跡は、地図か航空写真になんらかの痕跡を残しているものである。
そうなると、現地を確かめずにはいられない[揺れるハート]
山刀を持ってヤブコギである[わーい(嬉しい顔)]

本来はこの廃線跡の旅は一回で終わりにするつもりであったが、二回に分けさせていただき、もう少しヤブコギ…いや取材を加えた上で、後半をアップしたい[ひらめき]
また、この記事を書いている途中で今までわからなかった起点(多摩川で採取した砂利を積載した場所)に関して、ヒントとなるような資料を見つけた。
やはり、国土地理院へ行って昔の地図を調べなければ、正確な記述は出来ないと思い、その点を解明したうえでの次回後半戦に挑みたい。
・・・どうももう一度羽村の取水堰付近へ行かなければならないようである。


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BPノスタルジックカーショー

おはようございます。

良くぞ・・・・ですね!!
お勉強になります。
by BPノスタルジックカーショー (2010-01-13 06:04) 

manamana

ミステリーを読んでいるよう。
わくわくします。
by manamana (2010-01-13 09:26) 

風の子

大石遠江守の名は滝山城とか拝島付近の寺院で聞いたような
気がしますが、他のことは初めて知らされました。<(_ _)>
けっこう この付近をうろうろしているだけに驚きです。
by 風の子 (2010-01-13 16:03) 

CASCO事業部 J

6~7年前は村山界隈を毎週行っていたのですが、こんな廃線があったなんて知りませんでした~

by CASCO事業部 J (2010-01-13 16:18) 

emu310

凄い、良い資料として残せそうですね。
by emu310 (2010-01-13 18:52) 

駅員3

@ミックさん、Krauseさん、はっこうさん、hukayoiさん、BPノスタルジックカーショーさん、paceさん、水郷楽人さん、Krauseさん、いわもっちさん、takemoviesさん、ほりけんさん、manamanaさん、小父蔵さん、kou925さん、ガンバルおやじさん、お茶屋さん、ponchiさん、genさん、ナカムラさん、toshiroさん、tooshibaさん、nougyoujinさん、今造ROWINGさん、空楽さん、風の子さん、CASCO事業部さん、くまらさん、トメサンさん、rebeccaさん、emu310さん、甘党大王さん、響希さん、qoo2qooさん、たくさん、shinさん、cocomotokyoさん、単騎さん、ばぁどちっくさん、gardenwalkerさん、gyaroさん、おはようございます。
ご訪問と、niceありがとうございます。

⇒BPノスタルジックカーショーさん
ありがとうございます。そういっていただけると調べガイがあります(^^)

⇒manamanaさん
私自身の好奇心を満たすために調べて、判ったことを書いているのですが、結構誤りとかあるんじゃないかといつも冷や汗ものです。

⇒風の子さん
そうでしたか。しりませんでした。
昔の人は、移動手段が限られているのに、結構活動範囲は広いですね。

⇒CASCO事業部さん
多摩地域には、意外とたくさん廃線跡があります。
ぼちぼち取り上げていきますね。

⇒emu310さん
ありがとうございます。
自分の手控えてきなものなので、資料としての価値はいかがなものかと(^^;

by 駅員3 (2010-01-14 07:58) 

kiyotime

うおー、、廃線跡めぐり楽しそう!!
私も北海道の狩勝峠付近に廃線跡が残っているのを
飛行機から見つけ、現地に行ってみたいと思っている
ところで興味アリアリです!!
by kiyotime (2010-01-17 16:04) 

駅員3

たいせいさん、タイドマンさん、youziさん、ケイさん、空兵-Sさん、sonicさん、sakさん、kiyotimeさん、こんばんは。
ご訪問と、niceありがとうございます。

⇒kiyotimeさん
廃線めぐりの第一歩は、資料調べでしょうか。
なかなか探偵をしているみたいで廃線後の探索は面白いですね。
by 駅員3 (2010-01-17 23:54) 

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