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東京の坂と橋19 本妙寺坂 [東京の坂と橋]

名前ふりがな別名所在地北緯東経全長高低差
本妙寺坂ほんみょうじざか文京区本郷4丁目北緯35度42分31秒東経139度45分28秒30m3m

 

本妙寺坂は前回お届けした菊坂につながる坂道のひとつである。
本郷通りから菊坂に入り、1/3ほど下ると、左に曲がって南に伸びる上り坂が『本妙寺坂』である。
逆に右に曲がって北に坂をあがると、その坂上には坂の名前の由来となった『本妙寺』があった。

本妙寺坂地図.jpg

下の江戸切り絵図の中心やや右に○印をつけたところが、本妙寺である。

本妙寺坂地図2.jpg

本妙寺は、1910年(明治43年)に巣鴨に移転している。
江戸切り絵図には『本妙寺』の左隣に『長泉寺』が記されているが、 この寺は上の現代の地図をごらんいただくと、中央付近に現在も存在する。

下の写真は、菊坂から南に上る『本妙寺坂』を見上げたところである。
この写真の手前を右に入る路地があるのをお気づきだろうか。
この通りが『菊坂裏通り』という通称で親しまれている。
こんな細い路地にまで名前がついているのをみると、庶民の生活の息吹を感じて、悲喜こもごもの人生のドラマが展開されて、人々に愛されているからだろう。
この路地の奥に樋口一葉の旧居跡、宮沢賢治の下宿跡などがある。

本妙寺坂菊坂側2.jpg

次の写真は、『本妙寺坂』上部から、菊坂方向を見下ろしたもので、この谷の向こう側が本妙寺跡となる。

本妙寺坂.jpg

さて、ここで本妙寺について触れたいと思う。
本妙寺は、1572年(元亀2年)浜松に開山した。
山号は『徳栄山』といい、徳川家の繁栄を願って徳川家の重臣であった久世広宣、大久保忠俊、大久保忠勝、阿部忠政などにより建立された。

以下の写真は1910年(明治43年)に巣鴨に移転した後の現代の本妙寺である。

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徳川家康の江戸入城にともない1590年(天正8年)に江戸に移転する。
その後江戸城拡張などにより礫川町、飯田町、小石川と移転し、1630年代には旧本郷丸山町に落ち着いた。
往時は12の塔頭寺院(大寺院の山内にある小寺院や別坊、脇寺など)と七堂伽藍(本堂(九間(役16.4m)四方の大きさ)、塔、講堂、鐘楼、経蔵、僧坊、食堂をそなえた寺)の大寺院となった。

この『本妙寺』には有名なものがいくつかある。
そのひとつが、有名人の墓であるが、千葉周作(武道家)、遠山左衛門尉景元(遠山の金さん)、歴代本因坊などが眠る。
特に遠山の金さんの墓は東京都の史跡に指定されている。

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この自然石でできたような墓標が遠山の金さんのお墓である。
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千葉周作の墓石はかなり大きく、その高さは2m以上あるだろう。

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本因坊の墓所入り口には歴代本因坊の系図が掲出されている。
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私が本妙寺を訪れたときは、近くにおばあちゃんの原宿と呼ばれる『とげ抜き地蔵』があるせいか、おばあちゃんたちが数人で、「私は有名人のお墓全部回ってご供養したわよ」とか賑やかな話し声や笑い声が聞こえてきて、心和ませてくれた。

そして『本妙寺』を語る上でもうひとつの避けて通れない話がある。
それは『振袖火事・・・明暦の大火』である。
「火事と花火は江戸の華」といわれたくらい江戸の町には火事が多かった。
その中でも江戸の三大大火と呼ばれたものが次のとおりである。
 1.1657年(明暦3年) 明暦の大火
 2.1772年(明和9年) 明和の大火
 3.1806年(文化3年) 文化の大火

また明暦の大火は、『ロンドン大火』、『ローマ大火』と並び世界三大大火と称されるほどのものであった。

明暦の大火の状況は次のようなものであった。
明暦3年1月18日
14時頃  本郷丸山町本妙寺付近から出火
       北西の風にあおられ、本郷、湯島、駿河台と本郷台地を南に焼き尽くす
夕  刻  風向きが西風にかわり、神田から一石橋、八丁堀、霊岸島、佃島、さらには京橋、伝馬町、浅草へと延焼
翌1月19日

10時頃  小石川伝通院近くの新鷹匠町より出火し、小石川から江戸城方向に燃え広がり、江戸城天守閣、二の丸、三の丸を延焼
16時頃  麹町5丁目付近の町家から出火し桜田一帯、新橋、鉄砲洲、芝が延焼した。

実は明暦の大火とはひとつの火災ではなく、三ヶ所から出火した火災だったのである。
また当時の江戸は前年から80日間も雨が降らず乾燥しきっており、折からの季節風である強い北西の風にあおられて被害は拡大した。

関東地方の冬場は、北から西の方角から「上州の空っ風」で代表されるような強い季節風が吹く。
ちなみに、今年の1月1日から1月7日までの一週間の天気は快晴で、2日の「西南西の風」、5日の「南西の風」以外は、北、北西、西北西、西の風で、風速は1~2mとなっている。(毎日手帳に気象を記しています(^^;)
昨年の正月一週間は、同じく北から西の風で、風速は1~4mであった。

東京は、今年の冬は異常に暖かかったり、風も弱く穏やかなお正月であったが、例年は晴天であっても冷たく強い季節風が吹き荒れ、寒い冬が続く。

多くの書物が10万人余の死者を出したと記しているが、正確な情報は残っていない。
死者の供養のために建立された回向院(両国2丁目)の賀古町には2万人余の名前が記されているそうである。
これに、無縁仏を加えると5万人程度の死者ではなかっただろうか。

江戸時代と人口が違うとはいえ、各所からいっせいに火の手の上がった関東大震災での死者は11万人、第二次世界大戦時の東京大空襲での死者が8万人であることからすれば、延焼していく中での死者が10万人というのはオーバーであろう。

この大火を機に幕府は防火対策を中心に江戸の都市改造を行なった。
防火線として広小路をもうけたり、大川(現在の隅田川)に橋を架けたりしている。

ではなぜ『明暦の大火』を『振袖火事』と呼ばれるのだろうか。
時は遡ること3年、明暦元年の1月18日に、ここ本妙寺で遠州屋彦左衛門の一人娘『梅乃』の葬儀が行われた。
棺には生前梅乃が大事にしていた桔梗紋の目の覚めるような華やかな振袖がかけられていた。
梅乃は、花見に出かけた折に目にした寛永寺の寺小姓に一目ぼれしてしまう。
そして、その寺小姓の着ていたものと同じ柄の振袖を作らせて、日がな眺めていたのである。
梅乃は片思いに苦しみ、ついには16歳にしてやせ衰えて死んでしまうのである。

当時の風習として、棺にかけられた個人の着物などは寺の湯灌場の男達に渡されて、男達の小遣い稼ぎとなっていた。
梅乃の振袖も男達から古着屋に渡っていく。

翌年の明暦2年1月18日にまた若い娘の葬儀があった。
上野の紙商い大松屋又蔵の娘『おきの』である。
おきのも若干16歳にして病死したのだが、その棺にかけてあった振袖がなんとあの『梅乃』の作らせた振袖であった。
再び、その振袖は湯灌場の男達の手から古着屋に渡っていく。

そして迎えた明暦3年1月18日に、またまた若い娘の葬儀があった。
本郷元町に住む麹商い喜右衛門の娘『おいく』であった。

法要に訪れていた『梅乃』の親族と『おきの』の親族は『おいく』の葬儀を目にして驚く。
なんと、16歳でなくなったおいくの棺にはあの『梅乃』の振袖がかけてあったのである。

三家は話し合い、若い娘が同い歳で毎年同じ日に亡くなるのは尋常ではなく、この『振袖』には梅乃の妄執がこもり、この振袖に手を通した娘を祟っているのだといこととになった。
早速本妙寺の住職に相談し、この振袖をお焚き上げしてもらうこととなった。

本妙寺の僧侶たちが火を囲み読経するなか振袖を火に投げ込むと、燃え盛る火の中で振袖は踊り狂い一陣の風とともに舞い上がる。
舞い上がった振袖は本堂の屋根にひっかかり、あっという間に本堂が火に包まれた。
この火はたちまちのうちに各所に燃え広がり明暦の大火となるのである。

この話しは本郷に居を構えたことのある小泉八雲が小説にしている。
また、三遊亭円生の落語でも有名である。

では本当の出火原因は何であったのだろうか。
様々な文献を読んでみると、おおよそ次の4つの説に収束する。
 1.本妙寺失火説
 2.幕府転覆を狙った放火説
  ⇒6年前に幕府転覆を狙った由井正雪の残党のテロ
 3.幕府陰謀説
  ⇒江戸を焼き払い、一気に江戸の町の都市改造を行なう
 4.本妙寺火元引き受け説
  ⇒本妙寺に隣接する老中阿部忠秋邸失火説

振袖説はもとより作り話である。
当時の江戸は火事に対しては無力で、失火や放火に対しては厳罰で臨んでいた。
ただ火事の後の復興景気をねらった放火が絶えなかったという。

1の本妙寺失火説は、本妙寺が出火元としてお咎めを受けていないばかりか、わずか3年で復興を許され、その後法華宗の七派の『触れ頭』として破格の出世をしていることからありえない。

2のテロ説の根拠は、18日の火災発生の翌19日にも、二方から火の手が上がっていることを理由に挙げている。
確かに19日の出火原因について言及されているものは見つからなかった。
この二ヶ所の火元は本妙寺の風上にあたり、前日の残り火からまた火事になったとは考えられない。

3の幕府陰謀説については、はたして江戸城を焼いてまでするものだろうか。
下手をすれば、幕府崩壊にもつながりかねず、ありえない。
また、当時の幕府の権力をもってすれば、焼き払わずとも都市改造は可能であっただろう。

4の阿部家失火説については、阿部家から出火するや家人を江戸中に走らせて、『振袖火事』を吹聴下というのである。
しかしながら、当時の本妙寺は大伽藍で住んでいる人も多く、事情聴取されればすぐに明らかになってしまう話であろう。
だた、未曾有の大火災の火元が幕閣の老中宅であったとなると、幕府の威信は失墜し以後の幕府の政策遂行に障害となることはあきらかである。

阿部家の責任追及するよりも、「徳川を栄えさせる」という山号を持つ本妙寺に理由を説明して火元の汚名を引き受けさせたというのが真相ではないだろうか。
結果として阿部家は救われたのである。

本妙寺が何のお咎めも無いばかりか、異例の出世をしている点や、檀家でもない阿部家から大正時代に至るまで実に260年以上「回向供養料」として金品が毎年贈られていたという話しである。
そして、翌日の出火は「テロ」というより、復興景気を狙った模倣犯の仕業ではなかったかと私は考える。

でも私の心の奥底では、「小泉八雲や、三遊亭円生が描いた『振袖火事』が真相なんだ」叫んでいる。

本妙寺には、振袖火事の供養塔がある。

DVC00027.JPG

 


タグ:本妙寺
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お茶屋

色々と・・・とっても勉強になりました!
by お茶屋 (2009-01-08 08:32) 

kotarobs

お茶屋さん、いわもっちさん、西尾征紀さん、kskouzikさんこんにちは
ご訪問とniceありがとうございます。

⇒お茶屋さん
ありがとうございます。
私もこの坂の話では、色々勉強させていただいております(^^
by kotarobs (2009-01-08 14:00) 

やまがたん

遠山金四郎だけではなく 千葉周作まであるとは
都民だった私も知りませんでした・・・・・
私も勉強させていただきますのだ!

いつもありがとうございます
広告応援クリックさせて頂きます
by やまがたん (2009-01-08 22:07) 

STEALTH

北斗の人・千葉周作のお墓がこんなに立派なんですね。すごいなー。
by STEALTH (2009-01-08 22:52) 

kiyotime

なるほど。 本妙寺も無いのに本妙寺坂って
名前だけ聞いてもわかりませんね。
付近の人も知らない人が多いんじゃないでしょうか?
大火の火元になった事とか、、、
しかし阿部家、わかりやすい、、、

by kiyotime (2009-01-08 23:26) 

kotobuki1946

良い話、ありがとうございます。
by kotobuki1946 (2009-01-09 00:53) 

BPノスタルジックカーショー

おはようございます。

歴史を感じますね。
この辺はこんど足を延ばしてみます!!
by BPノスタルジックカーショー (2009-01-09 05:43) 

やまがたん

いつもお忙しいなかご訪問くださりありがとうございます
by やまがたん (2009-01-09 08:00) 

kotarobs

shinさん、やまがたんさん、タイドマンさん、夢空さん、ガンバルおやじさん、ぴーすけさん、STEALTHさん、kiyotimeさん、kotobuki1946さん、デザイン屋さん、BPノスタルジックカーショーさんおはようございます。
ご訪問とniceありがとうございます。

⇒やまがたんさん
文京区の各所にあるお寺さんには結構有名人の方々のお墓が多いですね。

⇒STEALTHさん
そうですね、私もこのお墓の大きさにびっくり。
かの徳川家譜代の久世家のお墓の大きさと競っています。

⇒kiyotimeさん
ここ本郷界隈も結構マンションが増え、新しい住民のかたがたはこのような歴史はご存じないかもしれませんね。

⇒kotobuki1946さん
一生懸命ねたを仕入れますので、またご訪問ください。

⇒BPノスタルジックかショーさん
そうですね。ここら辺はじっくり時間をかけて歩かれると歴史的に面白いものがたくさんあります。

by kotarobs (2009-01-09 09:18) 

たく

うーーん、驚きます。

もしかしたら、上州の風が江戸まで届いていたのかもしれないと思います。

その頃は高層ビル等もなかったですから?

古地図の中納言殿ってのが何とも言えずいい。
by たく (2009-01-09 18:31) 

Azumino_Kaku

こんばんは・・
このあたり坂が多いですよね・・
勉強になりました・・
江戸の歴史に学んで、東京の町も防火の備えをしっかりしたいものですね。
by Azumino_Kaku (2009-01-09 22:59) 

kotarobs

たくさん、Azumino_Kakuさんこんばんは
niceとコメントありがとうございます。

⇒たくさん
この江戸きり絵図をもう少し北西方向にスクロールすると、私のご先祖様が戦前まで住んでいたところが表示されています(^^)v

Azumino_Kakuさん
⇒実は私も今回改めて色々調べて初めて知ることがたくさんありました。
今年に入り火事が多く、尊い命が失われていますが、火事には気をつけたいですね。
by kotarobs (2009-01-09 23:22) 

さといも野郎

遠山の金さん、、、現代に甦って欲しいです!
by さといも野郎 (2009-01-11 23:54) 

kotarobs

さといも野郎さんこんばんは
niceとこめんとありがとうございます。
ははは、今の世の中何とかして欲しいですね(^^
by kotarobs (2009-01-12 23:38) 

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