SSブログ

東京の坂と橋 四方山話9 ・・・なぜ文京区は坂が多いのか? [東京の坂と橋]

文京区は23区内で名前のついた坂が一番多い区である。
坂の数え方については諸説あるが、坂出展年表(東京地縁社会史研究所 井手のり子)によると、文京区には126ヵ所の名前のついた坂がある。
ちなみに港区が121ヵ所と僅差で続く。

なぜ文京区に坂が多いのか、それは文京区の地勢に大きくかかわっている。
ここで簡単に文京区の概要について触れておこう。

【位 置】
東京23区の位置的な中心を千代田区とするならば、その北に位置し北側は北区と、東は上野のある台東区、荒川区と、西は豊島区、新宿区と接している。

【地 勢】
東京西部から続く武蔵野台地の東縁部に位置し、東京湾に続く低地にいくつかの台地と谷により形成されている。
武蔵野台地の東縁部は『豊島台地』と呼ばれているが、さらにその先を『本郷台地』、『白山台地』、『小石川台地』、『小日向台地』、『目白台地(関口台地)』と呼び、指を広げたように台地と谷を形成している。
本郷台地の東側は、不忍池をはさんで『上野台地(上野のお山・・・西郷さんの銅像がある上野公園)』となる。
以前取り上げた『おばけ階段』はこの本郷台地の東縁に位置する。

本郷台地2.jpg
カシミールの地図をランドサットの色分けで彩色したものに、陰の陰影を強調して、おおよそ標高20mのところに赤線を引いた

以前取り上げた面影橋から上野駅までの約6kmの断面図が次のとおりである。

本郷台地3.jpg

実は、春日通りを本郷三丁目から西に向かうと右にカーブしながら下る『真砂坂(東富坂)』という坂があり、この周辺を歩いているうちに、「なぜ文京区には坂が多いのか」という問題にはまってしまった。
この真砂坂は本郷台地の南西に位置するが、一口に『本郷台地』といってもどのように広がっているのか疑問に思い、まずは国土地理院発行の1/25000の地形図広げてみた。
するとびっくり、地形図なのにビルなどの建物のマークばかりで等高線を追えないのである。

本郷台地5.jpg 

そこでYahooの昭和レトロ地図に目をつけてみた。

本郷台地4.jpg

1/25000の地形図とは縮尺が違うが、春日通りの真砂坂(東富坂)を中心にしている
この地図は昭和30年代の地図をアップしたもので、さいわい等高線もはっきり見えている。

余談であるが、地図中央を東京メトロ丸の内線が走っている。
地図には頭が欠けているが、『帝都高速丸ノ内線』と記されている。
2004年に民営化されて東京地下鉄株式会社(東京メトロは愛称)になる前までは、『帝都高速度交通営団』という名称の特殊法人であった。
東京に在住の方々には『営団地下鉄』という名前で親しまれていた。
『営団』は、1941年に戦争遂行のため、国家による経済の統制管理を目的として設立された特殊法人で、早川徳次郎の作った『東京地下鉄道株式会社(浅草⇔新橋)』と、五島慶太の作った『東京高速鉄道株式会社(新橋⇔渋谷)』の地下鉄事業(現在の銀座線)の事業を引き継いで帝都高速度交通営団は設立された。
帝都高速度交通営団の他に、『食糧営団』、『住宅営団』などがある。
戦後GHQの指示により帝都高速度交通営団以外の営団は、解散もしくは『公団』に改変された。
『公団』と『営団』の違いは、民間からの出資を認めているか否かである。
戦後帝都高速度交通営団の出資は日本国有鉄道(現在のJR、国鉄が民営化後は政府が出資を引き継いでいる)が53.4%、東京都が46.6%となっている。
東京都は約1/2の出資をしている東京メトロを持ちながら、なぜ独自で都営地下鉄を走らせているのか、石原都知事の意見を聞いてみたいものだ。

さて、話しを本題に戻して、早速この地図を標高20mにそって数十枚プリントしてつなぎ合わせて、標高20mに赤い線を引っ張ったのが次の図である。

DVC00025.JPG

本郷台地の南は御茶ノ水の駅から神保町にかけて下って靖国通りにいたる。
坂の話しで最初に取り上げた幽霊坂は、この本郷台地の南縁に位置している。

本郷台地は御茶ノ水で江戸城の外堀で南と北に分断されているが、この地形は明らかに人工的なものである。
外堀を作ったときの事を調べてみると面白い逸話が出てきた。

この御茶ノ水界隈の外堀は、別名『仙台堀』という。
江戸城の外堀を開削するときに、この場所を徳川家康は、伊達政宗に下達した。
伊達政宗は、なんと「江戸城を攻め落とすには、駿河台(御茶ノ水駅近辺)から大砲を打ち込めば、簡単だ!」と豪語していたのを徳川家康が聞きつけての下達であったとのことである。

【歴 史】
「かねやすまでは江戸のうち」という『かねやす』は本郷三丁目交差点の角にあり、未だに洋品店として残っている。

DVC00123.JPG

享保15年の大火を機に、江戸町奉行であった大岡越前は、防災対策から家は塗屋、土蔵造りを奨励し、屋根は瓦で葺くことを許可して奨励した。
日本橋を基点として中山道を下ると、かねやすのある本郷三丁目までは瓦葺の家並みが続き、かねやすを過ぎると茅葺屋根が続いたといわれている。

現在の文京区は昭和22年に旧本郷区と旧小石川区が合併して誕生した。
このとき、新区名を新聞で公募したが決まらなかった。
旧小石川区が職員から募集したところ、その中に『文京』という案があり、「両区の特徴を端的に表していて、文字も書きやすく、“文教の府”というイメージにぴったりだ」ということで決定した。

そもそも文京区に人が住み始めたのはいつごろだろうか。
18000年前の旧石器時代から人が住んでいたと考えられている。
本郷台地からは数々の貝塚や縄文土器が発見されている。
また向ヶ丘弥生町で発見された土器はその地名をとって『弥生式土器』と名づけられ、弥生時代の名の由来となったことは皆さんご存知だろう。

徳川家康が江戸城を開城すると、数多くの武家屋敷や、寺社が設けられた。
また、江戸幕府の学問の府ともいえる『湯島聖堂』や『昌平坂学問所』が設けられた。
明治維新後は昌平坂学問所が師範学校となり、広大な武家屋敷に様々な教育機関が集まり、『文教の地』としての地位を確立していった。

DVC00017.JPG

色々わき道にそれてしまったが、文京区に坂の多い理由はもうお分かりだろう。
南に向けて指を広げたように張り出している台地と谷が入り組んでいることにより数多くの坂が誕生した。

ただ坂が多いだけでなく、「名前のついた坂」が多いのは、そこに人々の暮らしがあり、多くの人々にこの地が愛されているからではないだろうか。
文京区のもうひとつの特徴は、明治時代の文豪、歌人が数多く住んだことだ。
文豪の話については、次に項を改めて述べたい。

DVC00020.JPG


nice!(13)  コメント(14)  トラックバック(0) 
共通テーマ:旅行

nice! 13

コメント 14

a-tamoya

明けまして御目出とう御座います。
本年もどうぞ宜しくお願い致します。
by a-tamoya (2009-01-02 14:52) 

kotarobs

a-tamoyaさんこんばんは
ご訪問とこめんとありがとうございます。
今年もよろしくお願いします。
by kotarobs (2009-01-02 19:02) 

いわもっち

Happy New Year !!
なかなか奥の深い話ですね。
今後の展開に期待いたします。
by いわもっち (2009-01-02 20:25) 

ぴーすけ君

あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします☆

私が住んでいるところが一番高いんですね。
確かに、どこを見ても坂・・・
充電式の自転車の売れ行きがダントツだと思います。
by ぴーすけ君 (2009-01-02 21:27) 

空兵ーS

>ただ坂が多いだけでなく、「名前のついた坂」が多いのは、そこに人々の暮らしがあり、多くの人々にこの地が愛されているからではないだろうか。
 東京には有名な坂が多いと思ってましたが、確かにおっしゃるとおりなんでしょうね。それにしても文京区だけでそれだけあるとは驚きです。
 坂と川のある街はロマンチックですね。
by 空兵ーS (2009-01-02 21:38) 

お茶屋

今年もよろしくお願い致します!
よい一年となりますように☆
by お茶屋 (2009-01-02 21:53) 

さといも野郎

あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。
東京って、本当に坂が多いですよね。
by さといも野郎 (2009-01-02 23:26) 

BPノスタルジックカーショー

あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。

お勉強になりました!!
by BPノスタルジックカーショー (2009-01-03 05:15) 

たく

地図で調べて、現地も見たりしているのですか?

その土地の成り立ちも考察してあったりして、興味深く拝見しました。

遡って拝見させて頂きます。(^^)
by たく (2009-01-03 07:54) 

kotarobs

いわもっちさん、ぴーすけさん、空兵-Sさん、お茶屋さん、さといも野郎さん、BPノスタルジックカーショーさん、ガンバルおやじさん、たくさん、ご訪問、nice、コメントありがとうございます。

⇒いわもっちさん
ありがとうございます。なかなか思うようにアップできませんが、こつこつ書いていこうと思います。

⇒ぴーすけさん
ひょっとして文京区の住人でらっしゃるのでしょうか?
私の実家は以前真砂坂上にあって、本郷は私の故郷です。

⇒空兵-Sさん
そうですね。名前がついているということは、そこに行きかう人たちの人生がありますよね。そんな人生の一片でもお伝えできればと思っています。

⇒お茶屋さん
こちらこそよろしくお願いいたします

⇒さといも野郎さん
『東京』というと関東平野の海の入り口にあって「平坦な土地」というイメージですが、実は結構起伏が激しいんですよね。
後日取り上げますが、普段車で通り過ぎていたところを歩く機会があったのですが、歩いてみるとそこはなんとなだらかな坂道!
こんな坂には名前は無いだろうなぁと思ったら、なんとちゃんと名前がありました(^^

⇒BPノスタルジックカーショーさん
ありがとうございいすま。
色々調べていると、すぐあらぬほうに脱線してしまいますが、お付き合いください。

⇒たくさん
このblogの副題が「M38で巡る江戸情緒発見の旅」とあるように、都内・・・23区内中心ですが・・・の坂や橋を歩いてネタを掘り起こしています。
ただ、実際にM38で行くことは希で、歩き回るためには公共交通機関で巡っています。
by kotarobs (2009-01-03 09:31) 

Cyoroshi

あけましておめでとうございます。
今年も宜しくお願い致します。
by Cyoroshi (2009-01-03 12:41) 

kotarobs

Cyoroshiさん、デザイン屋さんこんばんは
ご訪問とniceありがとうございます。

⇒Cyoroshiさん
おめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。
by kotarobs (2009-01-03 23:43) 

kiyotime

東京地下鉄なんて名前になって、ますます
都地下と混同しそうですね、、、
そういえば京王線も京王帝都って名前じゃなかったでしたっけ?
by kiyotime (2009-01-09 00:00) 

kotarobs

kiyotimeさんおはようございます。
niceとコメントありがとうございます。
そうですね、京王線は戦前の企業合同のとき帝都電鉄と合併した小田急、東急と合併し、戦後の企業解体で分離されるとき、旧帝都電鉄の井の頭線をもらって、『京王帝都』となったんですね。
だから同じ京王線でありながら、線路の幅が違います。
なんか名前ら『帝都』がはずされてしまったときに、またひとつ古きよき時代の思い出が無くなっていくような寂しさを感じました(^^
by kotarobs (2009-01-09 08:03) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

トラックバック 0