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東京の坂と橋 四方山話5・・・怪談 乳房榎 [東京の坂と橋]

昨日のblogに伝説を3つ載せたが、今日はそのうちの一つ、『怪談乳房榎』についてストーリーをアップしてみたいと思います。

『怪談乳房榎』は三遊亭円生の十八番の一つです。
6代目三遊亭円生は多彩な芸風で落語界中興の祖といわれる名人で、明治33年に大阪で生まれ、昭和54年千葉県で亡くなるまでその一生を落語にささげられました。
円生師匠の噺と言えば怪談を話せば天下一品、特に『怪談牡丹灯篭』は有名です。

怪談 乳房榎
秋本越中守に仕えまして250石を取っていた武家で三十七にやる文武両道な真与島伊惣次がおりました。趣味で始めた絵が有名になって武家を辞し“菱川重信”という絵師になってしまったのでございます。妻の“おきせ”と生まれたばかりの“真与太郎”と三人で柳島に移り住んでおりました。おきせは二十四の絶世の美女で、夫婦仲も良かったのでございます。

本所・撞木橋近くに住む二十九になる浪人“磯貝浪江”は重信の弟子となりました。
良く気がつき絵も上手かったので評判は上々でございました。
宝暦二年五月
南蔵院から天井画の龍を頼まれたので、爺やの”正介”を伴って泊まり込みで描き始めました。
弟子の浪江は留守宅に毎日のように訪ねてくるようになりました。ある日仮病を使って泊めて貰ったのでございますが、夜更けに起き出し横恋慕していたおきせにせまったのでございます。
おきせに激しく抵抗されると、息子を殺すと脅して、一度限りとの約束でいやいや枕を交わしたのでございます。
ところが
、おきせは二度三度と度重なると浪江に好意をいだくようになりました。
悪縁で、そのうちおきせの方から誘うようになっていったのでございます。
浪江はおきせは自分のものになったが、絵を描き上げて重信が帰ってきたらこの仲は終わってしまうと考えて、重信を殺してしまう算段を考えたのでございます。

浪江は高田の南蔵院に手土産を持って陣中見舞いに訪ねて行きました。
重信も喜んで天井画の雌龍、雄龍をみせたのでございます。
素晴らしい出来で、あと雌龍の片腕を描き上げれば完成と言うところまで仕上がっておりました。

浪江は爺やの正介を連れだして茶屋に誘って一時の贅沢をさせました。
そして五両という金を正介に与え、叔父甥の仲になりたいのでその為の金だからと受け取らせ、親戚同士の杯を交わしたのでございます。
隠し事はなしと言いくるめ、おきせとの密通を打ち明けて重信殺しを手伝えと脅迫いたしました。
断れば殺すと脅されて正介はやむなく承諾してしまうのでございます。

寺に戻った正介は有名な落合の蛍見物に重信を誘いだしました。
来てみるとそれはそれは大きな蛍が飛び交う様は見事でありました。
飲めない重信に酒を飲ませて、雨が来るのを警戒して早めに切り上げると、帰り路につきました。
田島橋のそばまで来ると、浪江は竹槍で重信を刺し、ひるんだところを正介の助太刀で隙を作り、一太刀で命を奪ってしまったのでございます。

寺に逃げ戻った正介は「田島橋の所で先生が狼藉者に襲われて命が・・」と報告するのでございますが、周りのものは一向に取り合いません。
それもそのはず、重信は普段通り絵を描いていたとのことでございました。
どう考えても不思議だった正介は本堂の中を覗き込んでみると、最後の雌龍の片腕を描き上げ落款を押しているとこでありました。
重信の「正介、何を覗く !」との声で「わぁ!」と後ろに倒れ、明かりも消えたところに和尚一同飛び出して来て訳を聞くのでございます。
明かりを点けて中にはいると、重信の姿はなく、雌龍の片腕は描き上がり、落款はべっとりと濡れていたそうでございます。

怪談乳房榎でございます。

ここで終わりではありません。
此処までの噺では、なぜ「乳房榎」という噺なのか不明ですね。
それでは後半に参りましょう。

おきせは不義を働きながらも、重信の非業の死を知って悲嘆にくれたのでございます。
おきせは浪江と再婚し、やがて、おきせは浪江の子を身ごもります。

馬鹿正直で小心者の正介は、今度、浪江から重信の子真与太郎を殺害すするように脅されます。
迷いに迷ったのでございますが、結局、浪江に言われたとおり、四谷角筈村十二社の大滝の滝壺に真与太郎を投げ込んでしまうのでございます。
すると滝壺から、真与太郎を抱いた重信の亡霊が現れ、正介をにらんでこう言いました。
「かりそめにも、主を殺せし大悪人。…この真与太郎を養育し、敵を討って、鬱憤をはらさせろ」。
正介は重信の亡霊の言葉を聞いて改心するのでございます。
浪江には真与太郎を殺したと言って二十両の金をもらい、正介は真与太郎を連れて逃げ出し、生まれ故郷の練馬の在、赤塚村の松月院という寺の門番に落ち着くのでございます。

正介は旧知の知り合いの新兵衛から夢枕に現れた白山権現の霊験を聞きます。
松月院の境内にある乳房の形をした榎のコブからしたたり落ちる甘い雫が、乳房の病を治し乳のでない女も乳が出るようにするという。
しかも、その雫は、乳のかわりとなって、子どもを育てるというのでございます。
正介は榎の雫を乳代わりにして与え真与太郎を育てます。
そのうわさ話が江戸中に広まり、その雫を求めに多くの人が参拝に来るようになりました。

その頃おきせは浪江の子を産んだのでございますが、乳が出ないので育たず死なせてしまったのでございます。
その頃からおきせは乳房にはれ物が出来て苦しむようになりました。
浪江の使いの者が松月院に榎の雫を授かり来ると、正介と再会してしまうのでございます。
正介は口止めをして帰したのでございますが、使いの者は浪江に榎の雫を渡す時にこの話を漏らしそうになって、早々に退散いたしました。
その晩おきせは、重信の亡霊のたたりで乳房の醜いはれものが痛みだし、狂い死にしてしまいます。
葬儀を終わらせた浪江は、正介と真与太郎が生きていることを知り、再び亡き者にしようと松月院に乗り込むのでございます。
重信の亡霊に助けられた正介と五歳になった真与太郎によって、浪江は返り討ちにあってしまいます。
正介は髪を落とし、廻国をして亡き人々の回向をいたしました。
真与太郎は、長じて真与島の家督を継ぐことを許されるのでございます。

以上は円生師匠の噺の要約です。
この噺は非常に長いもので、何回かに分けて演じられたようです。
このお話は吟醸の館を参考にさせていただきました。

南蔵院
南蔵院は豊島区高田1丁目にあり、豊嶋八十八個所、第三十四番札所にあたります。
山吹里弁財天の碑、彰義隊士の首塚、六地蔵、2基の馬頭観音、庚申塔、3体の阿弥陀如来像があります。
永和年間に円成比丘(1376年寂)によって開山されました。
本尊は奥州藤原秀衡の持仏とされる薬師如来で、この薬師如来は比丘が諸国遊化の際に奥州で入手したとされています。

松月院
板橋区赤塚にあります。
赤塚城に居城した千葉自胤が開基と伝えられ、徳川家康より朱印地40石を寄進された格式ある寺院です。
また、高島秋帆が徳丸ケ原で日本最初の洋式砲術訓練を行ったときの本陣でした。
院内にある宝物館には、千葉氏寄進状・徳川朱印状など多数の由緒ある文化財が保存されています。


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Sarah

kotarobsさん、ご訪問&nice!ありがとうございました。
最近、若い人にも落語が静かなブームになっているようですね。
大阪にも小屋ができたんですよ。(場所、忘れちゃったけど)
一度、行ってみたいなーと思ってます。
by Sarah (2008-02-10 15:53) 

駅員3

Sarahさんこんにちは
nice、こめんとありがとうございます。
私は高校生の頃古典落語にはまり、講談社文庫の古典落語シリーズを愛読書にしていたことがあります(^-^)
また遊びに来てくださいね!
by 駅員3 (2008-02-10 16:27) 

こんにちは。
詳しいお話ありがとうございました。
なかなか行く機会がありませんが東京にも綺麗なところがたくさんありますね。
by (2008-02-10 17:03) 

駅員3

yukitanさんこんばんは
niceとコメントありがとうございます。
東京もまだまだ好奇心をそそられるところがたくさんあります。
また遊びに来てくださいね(^_-)!
by 駅員3 (2008-02-10 17:06) 

駅員3

STEALTHさんこんばんは
niceありがとうございました。
また是非ご訪問ください。
by 駅員3 (2008-02-10 20:40) 

駅員3

taniyanさんこんばんは
訪問とniceありがさうございました。
by 駅員3 (2008-02-10 21:24) 

kiyotime

落語って笑わせる話ばかりじゃないんですね、、、
円生師匠は大阪出身とのことだけど、古典落語には
上方とか関係ないんですかね?
by kiyotime (2008-02-11 01:19) 

駅員3

kiyotimeさんこんにちは
コメントありがとうございます。
円生師匠は大阪生まれですが、子供の頃東京にきて、9歳で落語の道に入ったようです。
だから、上方落語邸゛はなかったんですね。
by 駅員3 (2008-02-11 17:56) 

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