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東京の坂と橋3・・・幽霊坂 港区三田 [東京の坂と橋]

名前ふりがな別名所在地北緯東経全長高低差
幽霊坂ゆうれいざか有礼坂港区三田4丁目北緯35度38分東経139度44分300m13m

毎回取材に行くと一度に数箇所の坂を見てくることが多い。
近くにいくつかの坂が集まっているからである。
第一回で取り上げた千代田区淡路町の幽霊坂は、近くに「紅白坂」、「淡路坂」、「昌平坂」といずれも江戸時代ゆかりの坂がある。

さて、今回は港区三田にある幽霊坂を取り上げてみた。
場所は港区三田4丁目、国道1号から東南に上る全長300m、標高差13mの坂道である。
今日も周辺には江戸時代にゆかりのある坂をいくつか取材してきた。
今回の幽霊坂に平行して南側を通っているのが「魚藍坂」、そして、魚藍坂頂点から赤穂浪士の墓で有名な泉岳寺を通り、第一京浜までの下りが「伊皿子坂」である。
この二つの坂については、次回取り上げたい。

まず地図をご覧いただきたい。
最初見たときにお寺さんの名前の多さにビックリ!
そして実際現地へ行ってみて更にビックリ!
「江戸幕府は、お寺の建売分譲でもしたのか!?」・・・と思いたくなるくらいその辺一帯はお寺さんとお墓である。
さっそく歴史を紐解いてみるとナルホド!
寛永12年(1635年)、江戸幕府は江戸城を拡張するときに、八丁堀にあった20箇所あまりの寺を一挙に移築して出来あがった寺町だったのだ。

周辺はお寺さんだらけ、道の両側はお墓が並び鬱蒼と茂った木々で昼なお暗い・・・となれば、誰でも「幽霊」に結びつけるのは容易だ。
現代では街頭も整備され、地元の生活道路として人車の往来は少なくない。
坂の途中から魚藍坂に向かう路地の写真が次のものだが、このうら寂しい様子が、数百年前の江戸時代ともなれば「さもありなん」。

国道一号からの入り口には、港区の設置した標柱が立っている。
その標柱の説明書きには、「東京には幽霊坂が7つある。」と書いてあるが、いったい何処の坂なのだろう。
私の調べた限りでは、都内に「幽霊坂」と名の付くものが少なくとも12あった。

高層マンションが立ち並ぶ国道1号から幽霊坂の標柱のある路地を入ると、百数十メートルの上りが続く。
右手最初の長松寺には江戸時代中期の儒学者「荻生徂徠」の墓がある。


坂の中ほどでやや緩やかになった後、最後の百メートルで上りきる。

上左の写真の両側の塀の向こうはお墓である。右は、最上部から坂下に向かっての様子である。
今でこそコンクリート塀で明るい色に塗られているが、江戸時代には木が鬱蒼と茂り、なんか出そうな雰囲気であったことだろう。

道路地図では、二次元の世界でしか見えないが、地形図を見ると、国道一号と第一京浜の間には、JR目黒駅界隈から東に向かい品川から北上し三田の慶応大学付近まで、標高20m前後の台地が続いていることがわかる。

さて、最初にも述べたが、ここのところ「幽霊」のお題が3回続いたので、次回は今回の「幽霊坂」に隣接した「魚藍坂」と、「伊皿子坂」について触れてみたい。


 


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コメント 4

kiyotime

魚藍坂は抜け道によく使います!
次回のレポが楽しみ!!
確かにあの辺は寺社が多いですね。
それにしても幕府の寺分譲は笑った。
by kiyotime (2008-01-28 00:48) 

駅員3

kiyotimeさんこんにちは
niceとコメントありがとうございます。
「次回が楽しみ」といっていただけると書きがいがあります。

実はここら辺りの某お寺さんに、同級生が嫁いでいるんです。
「縁」は奇なり(^-^)☆!
by 駅員3 (2008-01-28 12:04) 

gardenwalker

はじめまして
会社が近くなのでこのへん良くお散歩します
お寺がこんなにあるのは不思議でした
by gardenwalker (2009-03-25 00:50) 

kotarobs

sakさん、こーすけさん、gardenwalkerさんこんばんは。
ご訪問とniceありがとうございます。

⇒gardenwalkerさん
そうですか。
いろいろ坂を歩くうちに、そのほかの地域・・・たとえば巣鴨界隈にも同じようにたくさんのお寺さんがあるところがあります。
江戸時代の幕府の権力は強かったのですね。
by kotarobs (2009-03-25 00:56) 

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